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ときのこえ
2021.03.04(木)

ときのこえ 2021年3月号

十年、人々に寄り添う支援を 樋口和光

2011年3月11日に起こった東日本大震災から10年となります。

東日本大震災と呼ばれるほど、その破壊力は広範囲に及びました。特に津波による被害は甚大で、沿岸にある多くの町々を飲み込み、家も船も職場もそして、尊い命を奪いました。人々が喪失感に打ちのめされている中、救世軍の被災地での支援が始まりました。

私は震災当日、東京・神田神保町にある救世軍本営(本部)の3階フロアで、震度5強の揺れを初めて体験しました。都内はすぐに交通手段が麻痺し、行き場を失った帰宅困難者が本営前の白山通りにもあふれました。そこで、すぐに休憩所として、1階ホール(礼拝堂にあたる)を開放しました。温かい飲み物や携帯電話の充電を提供しながら、正面の大スクリーンに交通情報や鉄道再開などのテレビの情報を映し出しました。地図をプリントして道案内もしました。夕食と朝食の提供もなされ、翌朝までに500人強の人々が利用し、帰宅困難となった60人ほどの方が宿泊しました。

また私は、すぐに他のスタッフ2人と共に、被災した仙台小隊(教会にあたる)に、水と食料を届ける任務を得ました。都内の渋滞が解消するのを待って、救援物資を積んだ車で一般道を走り、16時間かけて仙台に到着しました。それは、仙台小隊を救援活動の拠点とするためでした。

それから10年、救世軍は、国際的なネットワークと組織力を生かし、様々な支援を被災地でおこなってきました。震災直後は、緊急支援として、全国各地から救世軍のチームが、岩手、宮城、福島県で給食支援をおこない、日用品を届けました。救世軍の給食車(キャンティーンカー)で提供した温かい食事数は1万7千食以上となりました。また、避難先として、みなし仮設住宅に入居したことで支援が受けられない人たちに、行政と協力して、暖房器具などを贈る個別の支援もしました。これらの支援には、世界各地の救世軍から資金や物資の提供がありました。

やがて、復興支援がなされる中、私は、宮城県の南三陸町と女川町の商店街の再出発のイベントに参加する機会を得ました。南三陸町の「さんさん商店街」は、大雪の中での再スタートでしたが、ビデオカメラを持参し、復興の様子を記録しました。女川町での「きぼうのかね商店街」開設イベント時、これらの商店街の復興のために資金面で多大な支援をした、米国救世軍の総司令官が来日して語った言葉を忘れることができません。「皆さんが救世軍を必要とされるなら、救世軍はここにとどまります」と。大きな試練を経験している人々に、救世軍が寄り添うことによって、微かでも希望の光を点すことができることを示しました。

個人的なことですが、私の孫の希歩(のあ)は、宮城県石巻市で、2016年6月に生まれました。彼の両親である息子夫婦は、その年の4月、被災地の復興支援スタッフとして女川町に赴任しました。子どもが被災地で生まれることに意味がある、と母親も大きなお腹で引っ越したのです。生まれた子どもの名前には、「きぼう(希望)のかね商店街」の一字が入っています。次の聖書の言葉を思い出します。

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。…あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。」(エレミヤ書29章11、12節)

現在、被災地では災害に備えた街づくりがなされていますが、仙台にある救世軍は、今も支援の拠点として、人々と繋がり、寄り添い、将来と希望を与えてくださる神に祈りつつ、支えるための働きを続けています。
(救世軍士官〔伝道者〕)

 

写真・宮城県女川町にて。2011年4月27日撮影

 

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