救世軍の成り立ち

HISTORY
ウイリアム・ブース

救世軍創立者・初代大将

ウイリアム・ブース

(1829年4月10日 - 1912年8月20日)

始まりは
地域の
人々の救い

救世軍の始まりは1865年のイギリスです。

メソジストの牧師、当時36歳のウイリアム・ブースは、ロンドンの東部の人々の救いのために働くよう、神の召命を感じました。その付近では、酒びたり、犯罪、不道徳のほか、貧困、失業、人口密集、その他の数々の社会悪が蔓延していました。

色々な宗派からのボランティアと共に働いているうちに、やがて彼は自分が、遂にはザ・クリスチャン・ミッションと呼ばれることになる、急速に発展する運動(ムーブメント)の責任者となっていることに気づきました。その組織と規律は軍隊の慣例に大いに影響を受けるようになりました。

われわれは
ボランティアアーミーではなく、
サルベーションアーミー(救いの軍隊)である

という言葉を造り出し、これは直ちに側近の同労者たちの心をとらえました。そして、この運動は公にThe Salvation Army(ザ・サルベーション・アーミー、邦訳は「救世軍」)と呼ばれるようになりました。「創立者」と呼ばれるウイリアム・ブースは大将となりました。その後、階級、制服、記章などが取り入れられるようになり、組織のための指針、規律、用語なども採用されるようになりました。すべては、創立者が1904 年の大会で説明している通り、「軍隊の模倣をするのではなく、軍隊流に」ということなのでした。

名称変更後2年の内に、この運動はその発祥の国を越えて発展し始め、現在は、世界134の国と地域(2023年11月現在)で活動しています。

※救世軍は、武装組織「アラカン・ロヒンギャ救世軍」とは、一切関係はありません。

日本の救世軍の始まり

山室 軍平の写真
山室 軍平の写真

日本人初の日本軍国司令官

山室 軍平

(1872年9月1日 - 1940年 3月13日)

日本での活動は1895(明治28)年に始まりました。12人のイギリス人士官が横浜に上陸して活動を始めました。

日本人最初の救世軍士官は山室軍平で、名説教家、また福音を平易に説いた『平民の福音』の著者として知られています。彼は、遊郭から婦人を解放した廃娼運動や、結核療養所の設立などにも力を注ぎました。

以後の救世軍は、43の小隊(教会にあたる)での伝道活動、2つの病院(ホスピス併設)、保育所、児童養護施設、婦人保護施設、特別養護老人ホーム、老人保健施設、酒害者リハビリテーション施設などを通して働きを進めています。

伝道の拠点である小隊では、毎日曜日の礼拝のほか、聖書研究会や信仰入門講座、青少年のための日曜学校や子ども会、地域の女性や高齢者の方々のための集いなどがおこなわれています。お気軽に、お近くの救世軍をお訪ねください。

東京都杉並区には山室軍平記念救世軍資料館があり、日本における救世軍の歴史資料や、山室軍平に関する文書、資料を所蔵しています。

山室軍平記念救世軍資料館

〒166-0012 東京都杉並区和田2-21-39

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開館−祝祭日を除く毎土曜日 午前10〜午後4時
(ただし、指定参観希望日があれば受付いたします)
TEL 03-6256-8194 FAX 03-6256-8195

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