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ときのこえ
2013.03.25(月)

ときのこえ 2013年3月1日号

THE WAR CRY 第2643号 救世軍公報

もう、これまでと同じではない 大将 リンダ・ボンド

ときのこえ2013年3月1日号
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数年前のことです。イースターの日、救世軍のある小隊(教会にあたる)の日曜礼拝に出席しました。
説教者が話し始めましたが、それはいつもの説教とは違っていました。この経験豊かな説教者にしては、あまりに単純な説教でした。わたしは、この説教者の母国語が英語でないから、英語を話す会衆を前に用心深くして、込み入った神学用語を避けたんだろう、と思いました。それほど、彼はイエス様の物語を単純に語ったのです。それは、決して説教者大賞を取るような説教ではありませんでしたが、わたしの心は強く揺さぶられました。涙が流れました。この説教は、忘れられないものとなりました。
このようなことは、説教だけでなく、キリスト教音楽にもあてはまるでしょう。救世軍も他のキリスト教会と同じように、信じるところを喜んで歌にしてきました。イエス様についての物語が音楽の形をとる時、それは、わたしたちの記憶にしっかり刻み込まれます。歌う度に、いつも、いつも、繰り返し思い出すのです、イエス様の生涯を、イエス様の死を、イエス様の復活を、そして、今日それが与えてくれる意味のすべてを。

今、心にイースターの歌の一節が浮かんでいます。

「重荷に押しつぶされただひとり歩むとき イエスご自身が近づき共に歩いてくださった」

これはルカによる福音書24章にある記事を描いた歌ですが、今なお、わたしたちに強く語りかける何かがそこにあります。
二人の弟子が、イエス様が十字架上で死なれた後、失意の中で故郷に向かって歩いていました。残酷な十字架刑を目の当たりにしたら、人の心は壊れてしまうでしょう。しかも、十字架につけられたのが最愛の人だったら? 何の罪もないのに? 罪がないだけでなく、一つも欠け目がなく、完全な愛の人なのに? これほど残酷な光景に、だれが耐えられるでしょうか。
二人の弟子の悲しみは、イエス様を救い主として、世界の希望として信じていたことで、増幅されました。長年待ち続けていたその光が、消えてしまいました。すべてが暗闇と絶望と化してしまったのです。彼らは、うちのめされ、押しつぶされ、何も見えなくなってしまいました。

今、この文を読んでいる多くの方々にとって、この物語は理屈に合わないように思えるかもしれません。
神様は、その独り子イエス様をくださるほどわたしたちを愛してくださいました。イエス様は、赤ん坊になって、飼葉ばおけの中に生まれてくださいました。生きた模範を示し、病気をいやし、説教し、奇跡をおこなわれました。そして、死なれました。犯罪人のように死刑となって。イエス様が死んでくださったために、わたしたちの罪は赦され、完全な自由、完全な命を得られるようになりました。
そして最も素晴らしいことは、イエス様が死からよみがえって、肉体をもって、再び弟子たちに現れた、という点でしょう。幻ではなく、本物の、生きた姿をとって! どうか、この物語を空想の作り話として片づけないでください。今、この時、これを本当のこととして受け止めてほしいのです。

ルカによる福音書24章によれば、復活したイエス様―世界の救い主は、心が壊れた二人の弟子のために、時間をとって、わびしい田舎の道を一緒に歩いてくださいました。それは、弟子の目を開くため、生きる希望をもう一度与えるためでした。同じイエス様が、あらゆる時代を通じて生きておられるのです。イエス様はきょう、あなたの人生の道を、あなたと一緒に歩いてくださいます。そして、あなたの目が開かれ、イエス様を見ることができるように、イエス様の声を聞くことができるように、そして、あなたの心にイエス様を迎えることができるように、と願っておられるのです。

先ほどの歌に「重荷に押しつぶされただひとり歩むとき」とありましたが、これが、あなたの今の姿かもしれません。「孤独」とは数の問題ではありません。ひとりぼっちだから孤独なのでしょうか? そうではないでしょう。大勢の中にいて、なお「孤独」を感じる―わたしにもあなたにも、そういう経験があるはずです。その孤独・空しさは、世界中のどんなものをもってしても、けっして埋めることができません。
肩にのしかかる重圧、負わなければならない責任のために、幸せそうに笑っている人々から、自分ひとりだけが切り離されていると感じることがあります。また、病気が、借金が、家族の悩みが、酒や薬物が、失敗が、さらには、他人からダメだと言われたことが、自分の夢を壊してしまうのかもしれません。このような人生や人々によって、わたしたちは惑わされている、と感じてしまうのです。

皆さん、イースターは、人生にかかわることです。それによって悲劇の人生になるか、勝利の人生になるか、ということです。あなたは、失望して生きる、という道を選ぶ必要はありません。イエス様を知るために、あなたは神学者になる必要はないのです。

イエス様の物語をあなたの物語にしてください。あの歌にあるように、「イエスご自身が近づき共に歩いて」くださいます。遠くにではなく、近くに来られ、あなたがふさぎ込んだり、小さな希望しかもっていない自分を恥じたりしないようにしてくださいます。イエス様は、あなたのために死んでくださり、あなたを信じておられるのです。あなたがイエス様を信じ、いつも一緒にいてくださる方、またあなたの救い主であることを知ってほしい、と願っておられます。
これらのことを、わたしの言葉としてではなく、イエス様の言葉として受け取ってください。そうすれば、あなたの人生は、もう、これまでと同じではなくなるでしょう。

(万国総督)

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