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石川里志
私の自宅には、いくつかの日めくりカレンダーがあります。一日一語、指針を与えてくれる言葉と向き合うことはとてもいいものです。
その中の一つに「あなたを倖せにする魔法の言葉」というものがあります。それは「ありがとう」と「ごめんなさい」というものでした。
人とのコミュニケーションをとる上で挨拶は欠かせません。家庭でも職場でも「お早うございます」や「お疲れ様」は日常語です。でも、そこに親しみや相手を思いやる気持ちが込められていなければ、良い関係は保てません。人間関係がうまくいかないことほど私たちを苦しめるものはありませんね。
「ありがとう」という言葉は、自分に良くしてくれた方に対して表す感謝の言葉です。一方、「ごめんなさい」は、迷惑をかけてしまった方に申し訳ない気持ちを表す言葉です。しかし、気恥ずかしかったり、高慢であったりして、それがなかなか言えないのが私たちの感情ではないでしょうか。
聖書の詩編32編5節にこう書かれています。
わたしは罪をあなたに示し
咎を隠しませんでした。
わたしは言いました
『主にわたしの背きを告白しよう』と。
そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを
赦してくださいました。
私たちが心から「ありがとう」そして「ごめんなさい」と言わなければならない方がいます。その方は私たちの命を創造された方です。私たちはその方に背を向けて生きてきました。しかし、そのような生き方に平安がないことに気がつきます。日々の恵みに感謝することなく、また過ちを悔い改めることのない生活には真の幸いはありません。
その方は神です。私たちを心から愛してくださる方です。その愛は、私たちに平安を与えるものです。神は私たちがご自分に立ち返ることを望んでおられます。
背を向ける私たちの過ち、その罪を赦すために、神は御子イエス・キリストを世に与えてくださいました。私たちの罪を贖うために、キリストは十字架で血潮を流されたのです。私たちは自分の罪に気づき、神の前に心から悔い改めて神様に「ごめんなさい」と言い表すことが必要です。
神様は私たちの悔い改めを喜ばれます。そして、私たちが感謝をもって生きることを望んでおられます。
いかに幸いなことでしょう
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう
主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
詩編32編1、2節
幸いな人生は、自分の罪を言い表し、悔い改め、日々神様からいただく恵みに感謝をもって生きることで得られます。
赦され、愛されることで私たちに真の平安が与えられます。
私たちはイエス様の十字架を忘れてはなりません。「ありがとうございます」そして「ごめんなさい」と、神様に自分の気持ちを心から言い表しましょう。
(救世軍上野小隊〔教会〕所属)
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