ときのこえ 2012年5月1日号

THE WAR CRY 第2623号 救世軍公報

おいてきぼりの魂 石川 和男

 ゴールデンウィークは、皆さん、どのように過ごされますか。良い休養の時ですが、どこかへ行きますか。普段と違う所へ行ってリフレッシュする――旅の醍醐味はそこにあります。

 「休養」を英語で言うと、レクリエーション(recreation)ですが、この言葉には、再創造という意味があります。そのことをすることで心身がつくり変えられ、気分を一新することができる、また、自分を見失いかけた時にふと立ち止まって自分の立ち位置を確認する―休日をこのように過ごせたら、本当にすばらしいことです。
 さて、休むということにとても深い意味があることを教えてくれるエピソードがあります。
 ある学術調査隊が中南米奥地に発掘調査に出かけました。調査隊は、たくさんの荷物を運ぶために地元のインディアンたちを雇いました。出発から四日間は順調に旅程を進み、スケジュールは大変はかどりました。ところが五日目になると、インディアンたちは黙って地べたに車座になり、全く動こうとしなくなりました。調査員たちは賃金のアップを提案しましたが、だめ。叱しかりつけたり、ついには武器まで持ち出して脅したりしてみましたが、全く言うことを聞きませんでした。とうとう調査隊員たちはあきらめざるをえませんでした。日程には大幅な遅れが生じました。
 二日後、突然、インディアンたちはいっせいに起き上がり、荷物を担いで歩き出したのです。彼らはこれについて何も要求せず、弁解も謝罪もしませんでした。この不思議な行動を学者たちはどう受け取ってよいかわかりませんでした。後になって、インディアンの一人が、親しくなった調査隊員にこう言ったそうです。
 「初めの歩みが早すぎたので、私たちの魂が後から追いつくのを待たなければならなかった。」
 超特急のようなスピードで突っ走っている私たちの生活。いつしか、
 「俺おれって何やってんだろ?」
 「私、こんなはずじゃなかった」と、訳がわからなくなってしまうことがあるかもしれません。私たちは競争と結果を求められ、走り続けているうちに、自分の魂をどこかに置き去りにしてしまっているのです。
 そんな私たちに向かって、イエス・キリストはこう言われました。
 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイによる福音書11章28〜29節)
 「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」(マタイによる福音書16章26節)
 しばらく立ち止まって自分の今いるところを眺めてみてください。あなたはそこでいいですか。そこがあなたにとって一番、あなたらしいところですか。 聖書は、イエス・キリストのそばこそ、私たち人間が本来生きるべきところである、と言っています。イエス・キリストを信じ、彼に自分をゆだねる時、私たちは置き忘れていた本当の自分を取り戻すことができるのです。

(救世軍士官〔伝道者〕)

ときのこえ2012年5月号表紙
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