社会鍋

主イエスの心 社会鍋

海外での社会鍋
「この壺が煮立ち続けるために!」と、船員キャンプ用の黒壺をつるして、救世軍によるクリスマス給食への支援を呼びかけた

 「社会鍋の日」をご存じでしょうか。11月30日です。一般社団法人日本記念日協会の認定を受け、正式に記念日として登録されています。小さな子どもからお年寄りまで、多くの方方に愛されてきた社会鍋の働きを記念し、継承する日として設けられました。

 1909(明治42)年に、日本で始められた社会鍋のルーツは、遠くアメリカのサンフランシスコにあります。それは、いわゆる「一八九三年恐慌」翌年のことでした。不景気のためアメリカの貿易は振るわず、失業した船員たちが多く出ました。そのような失業者の家族に、温かいスープを提供しようとした救世軍士官がいました。ジョセフ・マクフィー大尉です。

 彼は、クリスマスが近づいたある朝、船雑貨屋のショーウィンドーに、三脚につるした船員キャンプ用の黒壺を見つけました。早速、それを買い求め、繁華街の入り口に立て、「救世軍のスープ接待にご協力ください」と記した看板をぶら下げて、募金を呼びかけました。

このユニークな募金方法は多くの人々の心を動かし、次々にコインが黒壺の中に投ぜられました。そして、翌年以降アメリカの各地でおこなわれるようになり、やがて日本でもおこなわれるようになったのです。

 失業した船員の家族を思いやり、温かいスープを提供しようとしたマクフィー大尉の心、そこには、
 「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9・36)
主イエスの心、また、強盗に襲われ傷ついた旅人を見て憐れに思い、手厚い介抱をしたサマリア人の心(ルカ10・33~35)に促される思いがあったのでしょう。 「憐れみ」という言葉は、内臓が痛むほどに人を慈しむ神の愛を表しています。そうです。彼は、彼を救いに導いてくださった神の限りない愛を覚え、その愛に倣って、愛の業を始めていったに違いないのです。
 
 日本における歳末助け合い街頭募金の元祖とも言われる社会鍋。これは、「本当の意味で人と人とが助け合うとは何か」を示した歴史的募金と言えるでしょう。
主イエスは言われました。
 「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」(マタイ6・3)
また、こうも言われました。
 「受けるよりは与える方が幸いである。」(使徒20・35)
 社会鍋は、名乗ることも、領収証を求めることもなく、鍋の中にお金を投じる人々の無償の善意、そして、歴代の救世軍人たちの無償の奉仕による、主イエスの教えを体現した「真の助け合い」運動なのです。

 また、社会鍋は多くの人人の善意に訴え、その善意を引き出す「愛のしるし」でもあります。かつて、私の知人はこう言いました。
 「年末になると、社会鍋だけには、必ず入れるよ。」
 多くの人々のご協力をいただき、その善意をお預かりするために、社会鍋は今年も街頭に出ていくのです。
 再臨の時、主イエスは、尊い奉仕の業に従事したすべての人に、ほほえんで、こう言われるでしょう。
 「あなたは本当に良いことをしましたね。」
そこには、究極的な「祝福と喜び」が備えられているのです。

勝地 次郎(中将)



 12月に入ると、救世軍では、全国の主要都市で歳末助け合いの募金をおこないます。

 三脚につるした鍋と紅白のたすきが目印の「社会鍋」——年末の風物詩ともなっているこの社会鍋のルーツは1906(明治39)年に始まった「慰問かご」です。これは、日露戦争直後で失業者が多かった当時、最も暮らしにくい年末年始のために、餅やミカン、足袋などをかごに入れて貧しい家庭に配った正月のプレゼントでした。1909年からは失業者救済対策として、他の国々の救世軍でおこなわれていた「クリスマス・ケトル(スープ壷)」と呼ばれる募金方法をヒントに、三脚に鉄鍋をつるして街頭募金をするスタイルになりました。

 「集金鍋」「慈善鍋」「社会鍋」と名前を変えながら、寄せられた献金の用途も広がってきました。現在では、様々な救援活動(国内外の緊急災害被災者や街頭生活者への支援)や各種の慰問活動(母子家庭、一人暮らしの高齢者、病院、各種施設など)のために用いられています。

さらに詳しく知りたい方は『社会鍋物語』をごらんください。

社会鍋風景


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