家庭団コータリー 2019年4月号

4月礼拝プログラム

子どものように主と交わる
鈴木 眞理子

聖書箇所 コリントの信徒への手紙一 6章19-20節
     マルコによる福音書10章13-16節
救世軍歌集 244番 われは神の宮

子どものように主と交わる

四月は新しい出会いの季節です。昨年の四月、私は北海道に転任し、連隊・小隊・保育園チャプレンとしての働きの中で多くの方と出会いました。保育園での子どもたちとの関わりの中で、印象に残る出来事がいくつかありました。

毎週月曜日の朝、救世軍桑園保育所で四歳児・五歳児の子どもたちと礼拝をしています。

ある日の礼拝の後、子どもたちとしばらく一緒に過ごしていました。すると一人の子どもが近づいてきて、「ねえ、眞理子さんって神様とほかに誰と一緒に住んでるの?」と尋ねてきました。私が主人の名前を言って説明すると「そうなんだぁ」と言ってそばを離れていきました。

私は子どもが神様を身近に感じていることを嬉しく思うと同時に、大人より子どもの方が、はるかにイエス様を近くに感じているのではないかと思わされました。そして私は教会という神の宮に住まわせてもらっているだけでなく、神様は「イエス・キリストは救い主であると信じる」者の内に住んでくださるお方であるということを、改めて思い巡らせました。

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」(コリント一6・19)

イエス・キリストを信じ罪を悔い改めて信仰告白をしたとき、命の息が吹き込まれ、私たちは霊的な存在として神様と交わるものとなりました。常に私たちの内には、聖霊が住んでおられ、いつでもどこでも神様と対話することができるのです。この特権を思う存分用いているだろうか。また、祈りという神様との交わり、対話できるという恵みをいただいています。いつでもどこでも神様と話すことができますが、子どものような素直さをもって神様を慕っているだろうか、と自分自身に問いました。

また、ある礼拝の中で「子どもを招くイエス様」(マルコ10・13―16)のお話をしました。「子どもの好きなイエス様は子ども一人一人の頭に手を置いてお祈りしました」と話しました。その後、私は一緒に礼拝をしている子どもたちの名前を一人ずつ呼び、手を置いて祝福の祈りをしました。すると、名前を呼ばれた子どもたちの多くは、少し恥ずかしそうな、しかし目を輝かせてとても嬉しそうな表情をしていました。子どもたちの表情を見て、私もとても嬉しい気持ちになりました。そして、創造主であられる神様は、ご自身が創造された子どもの名前を呼んだ時、こんなにも目を輝かせて嬉しそうな顔を見せてくれる我が子をいとおしく感じるだろうと思いました。

イエス様は「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ10・14―15)とおっしゃいました。
 
私たちが神様と出会った経緯やタイミングはそれぞれ異なります。しかし、あるとき、神様が招いてくださった声に応え、信じて、神の子とされました。そして主との交わりという素晴らしい恵みをいただきました。

私たちの名を慈しんでお呼びになる神様の声を聞き逃すことなく、応えているでしょうか。ますます神様との個人的な関係を深め、子どものような素直さをもって、私たちの内に住んでくださっている聖霊の導きに従っているでしょうか。祈りの手を置いていただいたときの子どもたちのように、素直な心で主を見上げているでしょうか。

確かに私たちの日常生活は、良いときばかりではありません。人間関係に苦労するとき、疲れを覚えるとき、病の床に伏せるとき、世の波にもまれ、疑いの思いが芽生えるときなど、様々な経験をします。

しかし、私たちの助けを求める声に応えてくださる主は、遠い所におられる方ではありません。私たちという「神の宮」に住んでくださるほど、近くにおられます。詩編八六編五節、七節に「……あなたを呼ぶ者に 豊かな慈しみをお与えになります。……苦難の襲うときわたしが呼び求めれば あなたは必ず答えてくださるでしょう」と神様の約束があるように、主は呼び求める声に必ず答えてくださいます。私たちが何歳になろうとも愛する我が子の声に応え、私たちの存在、人生を通して主の栄光を現してくださるのです。聖霊の内住を信じて、子どものように神様を慕う人を、神様は喜んで受け止めてくださるでしょう。

「祈り」という、神様との交わり・対話できるという特権を用いて、主のご栄光が豊かに現されますようにと願います。また子どものような柔らかい心で、この新しい季節を過ごせますように、心よりお祈りいたします。

(北海道連隊女性部書記・大尉)



5月教育プログラム

未来への花束にして
寺澤 眞由子

聖書箇所 テサロニケの信徒への手紙二3章1-5節
救世軍歌集 172番 み神のあわれみにより

未来への花束にして

人生の後半期に差し掛かる中で、次世代に残すべきものについて、前世代から受け継いだものの流れの中で考えさせられています。

〇受け継いできたもの

先日、『未来を花束にして』(2015年作『Suffragette』)という映画を観ました。
これは、一九一〇年代にイギリスで女性の参政権を求めて戦った、労働者階級の女性が主人公の映画でした。洗濯工場で働く母の下に生まれた主人公は、幼いころから洗濯工場で働き、男性職員からの性的虐待や、差別を受けながらも、同じ工場で働く男性と家庭をもち、一男をもうけます。貧しい中にも家族をもつ幸せを思いながら過ごしていましたが、偶然、女性の参政権を求める運動に出合い、導かれるようにその運動の中心的な役割を果たすようになります。結果、何度も投獄され、夫の理解が得られず、子どもから引き離されるのでした。身を裂かれるような子どもとの別れを経験しながらも、自分と同じような経験をする女性を未来に残さないために、と戦い続けるのでした。

結末については、ぜひ皆さんにも観ていただきたいので書きませんが、その映画を観ながら、その戦いがほんの百年前の出来事であったことに改めて驚きを覚えたのでした。

私の大学卒業の頃は、男女雇用機会均等法施行後数年経っておりましたし、自分自身、学校教育や就職活動の中で男女の差別をあまり感じることなく過ごすことができました。家で母に、「女の子なのだから、手伝いなさい」と言われ、兄には何もさせないことに何度も文句を言っていた記憶はありますが、両親そろって、女性も勉強し、仕事をするのが当然という考えだったので、学力に見合った進学をするように道備えをしてくれていました。

しかし、歴史を俯瞰かんする時、女性がこのような立場を得ることができているのはほんの数十年のことなのだと改めて気づかされました。そして、多くの女性の戦いと、命、そして、涙の結晶であることを思わされたのでした。

〇残していきたいもの

女性も仕事をもつことが自然であるために整えられるべき環境のなんと不完全な状態でしょう。子育ての環境、ひいてはあらゆる人が、「生きていく」ための環境整備がまだまだ必要ではないでしょうか。

日本の少子高齢化社会の土台の上には、非婚、未婚、離婚、若者から壮年に至る世代の「ひきこもり」、孤独死、セルフネグレクト、自死、狭き門である難民認定、奴隷状態に近い境遇に置かれた外国人労働者、生きづらさを覚える人々など複合的な問題が層をなしています。救世軍の創立者ウイリアム・ブース、カサリン・ブースならどうしただろう? 山室軍平なら、山室機恵子なら……と何もできないでいる自分自身が情けなくなることが度たび々たびです。だからこそ、今できることとして、今挙げたような問題について情報を集め、学び、それぞれに対する理解を新しくする必要を痛感しています。

子育てにしても、私が育った環境、現在二十歳になる長男を育てた環境、現代の環境でも様変わりしています。労働環境や雇用形態も二十年前の常識が通用しなくなっているのです。しかし、約百年前に女性が置かれていた立場を思うなら、今この国に生きる女性たちがもう少し周りの人々の置かれた状況を理解し、次世代により良い世界を残していくために学び、想像力を働かせて、行動していくことができるのではないでしょうか。これらの課題も必ず解決できると信じて。

〇せめて応援団になりましょう

長女が小学校入学のタイミングで、私は渋谷小隊長の任命をいただきました。着任後間もない頃のことです。娘が私のいる高壇に上ってきたことがありました。大きな小隊に移り、母親を遠くに感じて近くに来たかったのかもしれません。その時の姿が忘れられません。その後もしばらく娘の情緒は不安定で、学校にも行きたがらず、娘のことを思うと、とても辛い時期を過ごしていました。けれども、高齢の戦友が、二人きりになるたびに、娘の良いところを挙げては「大丈夫よ」と励ましてくださいました。その「大丈夫よ」の言葉に、彼女が娘のために祈ってくださっていることも感じ、どんなに励まされたことでしょう。

「大丈夫よ。」私たちは、神を信じる信仰によって、あらゆるこんがらがってしまっているような問題や、状況、心に対して、祈りと想像力をもって、そう言い続ける「応援団」でありたいと思います。そうです。あなたも「応援団」になれるのです。

どうか、家庭団のお一人おひとりが、想像力を働かせて、常に祈り、常に学び、常に励ます人々となることができますように、とお祈りいたします。

〇お互いの学びのために

新聞やインターネット上で気になった記事や、学びになる記事を持ち寄ってはいかがでしょうか? お互いの興味の違いから、学びが広がっていくことでしょう。その学びが「未来への花束」となると信じて、分かち合いましょう。

(文書部長・編集部長・少佐)