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ときのこえ
2021.12.01(水)

ときのこえ2021年11月号

もう一度会える日を待ち望みながら

 山谷真


 人間はいつから人間になったのか? これについては諸説あります。

 一つには、死者を悼むようになって、人間は人間になった、というものがあります。

 先史時代の墓が見つかり、そこには野の花が手向けられていた痕跡があった、という記事などを読むと、単なる知的好奇心ではない、何か魂に触れる感興を覚えます。

 東京の郊外にある多磨霊園には、日本の近現代史をつくった偉人や名士や作家たちの墓が点在していますが、その中に囲まれるようにして、救世軍の墓所がひっそりとたたずんでいます。

 そこには、信仰の友たちの遺骨、病者や弱者の救済に生涯を献げた士官(伝道者)の遺骨、救世軍の病院や施設で亡くなり、ご家族に引き取られることがなかった方々の遺骨が納められています。

 救世軍では毎年秋にその墓所の前で召天者合同記念会をおこなっています。澄み渡った空の下、陽光に輝く銀色のブラスバンドが賛美歌を演奏し、亡くなった方々の名前が読み上げられ、追悼の祈りが献げられ、聖書のメッセージが語られ、花が手向けられます。

 それから、墓所の扉が開かれて参列者が順番に中に入り、自分と心のつながりがあった故人の骨壺を確認します。

 その時によく交わされるのが、「この隣りに自分ももうすぐ入るから、場所を空けておいてね」というような会話です。

 人生には死という現実が厳然として存在しています。わたしたちはその現実を認識しながら、人と人の心のつながりの中を今日も生きています。

 そして、不思議なことに、人と人の心のつながりは死によって断ち切られることがない、ということを、人はみなどこかで信じています。あるいは、少なくとも、信じようとしています。

 墓に手向けられる花束は、その目に見えない心のつながりを、見える形であらわすシンボルなのかもしれません。

 キリスト教会の葬儀や記念会では白百合がよく用いられます。伝説によれば、イエス・キリストが十字架につけられ、死んで、納められた墓の周囲には、白百合が美しく咲いていたとされています。

 そのキリストは、新約聖書によれば、三日目に死者の中から復活しました。そして、人生は死では終わらないこと、墓の向こう側に希望があること、人と人の心のつながりは永遠に続くことを、キリストは復活したその姿を通してわたしたちに示してくれました。

「イエスは言われた。
『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。』」
(ヨハネによる福音書11章25~26節)

 昨年から今年にかけて、コロナ禍のために思いがけず地上を去らなければならなかった人が多くあったことを、悲しみの内に覚えます。

 その悲しみの中でわたしたちは、去って行ったあの人の顔、この人の顔を想います。そして、姿は見えなくなってしまったけれども、目には見えない心のつながりが今日も生きていることを信じて、白百合の花束を手向けようとします。

 その花は、わたしたちには再会の希望があることを、無言のうちに語りかけているかのようです。

(救世軍士官〔伝道者〕)

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