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ときのこえ
2020.08.28(金)

ときのこえ 2020年8月号

すべての痛みが取り去られる日 ピーター・ホワイト

2020年を迎えた時、誰が今の状況を想像することができたでしょうか? 今も、世界の各地で多くの人々が新型コロナウイルスの大流行に苦しんでいます。すでに、約1千70万もの人が感染し、約51万もの人々が命を落とされました。(7月2日現在)様々な人々が、これまでの理解を超えた勢いで増す感染者数やその規模について分析しようと努めています。

わたしたちの誰もが、身体と心、魂の(霊的な)痛みを日々経験し、苦しみます。なぜそれが起こり、自分にどう影響するかを理解できることもありますが、日常生活が普通に送れなくなるほどの影響を受ける深刻な状態では、ほとんどの場合、理解に苦しみます。

私は、一人のクリスチャンとして、信仰をもっていることで、そういう痛みから逃れられるわけではないことを知っています。現実社会には問題が山積し、痛みやイライラさせられることも尽きません。むしろ、クリスチャンであることが、そういった苦しみを深めさせることもあります。

しかしながら、神は、わたしたちの人生の日々の旅路をわたしたちと共に歩んでくださる、と約束してくださっています。

イエス・キリストは、神についての福音を伝える中で、わたしたちが経験するあらゆる苦しみを経験されました。飢え、苦痛、挫折、裏切り、と枚挙に暇がありません。弟子たちと過ごされた三年の間に、イエスは多くの人々に深い慰めをもたらされました。目の見えなかった人を見えるように、歩けなかった人を歩けるようにされ、死んだ人を生き返らされたことさえありました。イエスは、神の子である御自身を信じる人々が得られる、自由と正義について語られました。弟子たちと生活や働きを共にされていましたが、時に、その弟子たちが彼の苦痛や悩みの種となりました。弟子たちは、イエスを真に理解することが難しかったのです。文字どおり、共に生き、働いておられる「メシア・救い主」についての理解が弟子たちには乏しかったからでした。その上、イエスが捕らえられ、十字架で死なれた時には、イエスのもとから逃げてしまいました。理解しがたいことに対する弟子たちの姿はわたしたちの姿に重なります。

聖書の黙示録には、次のような神からの預言、約束が記されています。

そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
すると、玉座に座っておられる方が、
「見よ、わたしは万物を新しくする」
と言い、また、
「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」
と言われた。(21章3~5節)

これは、いつの日かやがて、人々の涙はことごとくぬぐわれ、死も悲しみも嘆きも労苦もなくなる。すべてのものが過ぎ去り、イエスが天国の玉座に座って、すべてを新たにされる、という約束です。

今、わたしたちの理解を超えた現実の中にも、イエスを救い主―キリスト―と信じる時、希望が与えられます。イエスを信じ、共に生きるなら、死を超えた、この永遠の命に与ることができるからです。神は、はっきりとそう聖書に約束しておられます。そして今も、神はこの希望をわたしたちに与え続けておられるのです。

(救世軍士官〔伝道者〕)

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