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ときのこえ
2020.02.07(金)

ときのこえ 2020年2月号

仕える者に与えられる祝福 ゲイル・ホワイト

「仕える者」という言葉を聞くと、私たちは奴隷のように束縛され、自由が奪われる存在を想像しがちです。けれども、それは、仕える者の真実の姿を表していません。例えば、国を導く大統領や首相は、国民に仕える者として選ばれています。ですから、彼らは、自分たちの利益のためではなく、その国の人々の最大の利益のためにその立場にあるのです。他の人々のニーズを自分自身のニーズより優先させるために、です。

私たちは、他人のニーズよりも自分を優先することが多い世界に生きています。他の人々の問題に関わるよりも、無視するほうが簡単です。けれども、イエス様は、彼の最後の晩餐(十字架に架かられる前に弟子たちと過ごした食事)の席で、弟子たちの汚れた足を洗われました。イエス様は、仕える者の姿を自ら示し、他の人のニーズを優先させることを表されました。

イエス様はご自分を
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献ささげるために来たのである」(マルコによる福音書10章45節)
と言われました。

「仕える者」であるイエス様は、私たち一人ひとりが、神様と和解する必要があることを知っておられたので、十字架によって私たちのために自らの命を献げる備えをしておられました。

 

なぜ他の人々に仕えるのでしょう?

クリスチャンは、イエス様の模範に倣って他の人々に仕えます。

聖書のルカによる福音書10章(25~37節)には、善いサマリア人のたとえ話があります。イエス様のもとに来た律法の専門家は、永遠の命を受け継ぐために何をすべきか知りたがっていました。イエス様が彼の見識を問うと、彼は、
「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります」
と答えました。さらにイエス様が、神と隣人の両方を愛することを強く促すと、律法の専門家は再び質問したのでした。「わたしの隣人とはだれですか?」と。

そこでイエス様は、当時、彼らの民族であるユダヤ人と交際していなかったサマリア人が、ユダヤ人が困っているのを見捨てられずに助ける、というたとえ話をしたのでした。困っている人の隣人となるべきことを示され、人々のニーズを知ったなら、それに応えて隣人となり、仕えることを教えたのです。

イエス様によって示された、仕える者の姿は、キリスト教会に行動することを呼びかけます。キリスト教会の一つである救世軍は、他の人々の身体と心、そして霊的なニーズに応え、仕えるために存在しています。救世軍は、病院や高齢者施設、子どもや女性たちのための施設の働きを通して仕えているのです。また、小隊(教会にあたる)では、孤独を覚える人との信頼関係を築き、愛する人を失った人に慰めを与えるなどの霊的な求めに応えています。

 

仕える者に与えられる祝福

他の人々に仕えることによってイエス様に仕えるならば、その人は多くの祝福に与ることができます。イエス様を模範として、まわりの人々に仕えるならば、人々はその人の中にイエス様を見、イエス様の示される神の国の祝福を覚えることでしょう。また同時に、仕える者は、仕えている多くの人々の生活や人間関係がイエス様によって良いものに変えられることを見る、という祝福をいただきます。見返りを求めて奉仕しているつもりはなくても、仕える者は、仕えた結果として、豊かな喜びをいただくことができるのです。

(救世軍士官〔伝道者〕)

 

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