2025年の予定
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髙畠欣男
妻と私は、救世軍士官(キリスト教伝道者)として二つの小隊(教会にあたる)に赴任した後、年齢的にも節目を迎える頃に、救世軍の社会福祉施設の辞令を受けました。その施設で約15年近く、働きに携わりました。前半の数年は、未知の分野のため、吸収に努めました。「神様の愛」を利用者と分かち合う。日々の業務にこそ、神様が示してくださる意味がある。それを見いだす学びや研修に熱中しました。人生の季節は真っ赤に燃えるような夏です。
しかし秋は既に訪れていました。施設の現場での出来事とその対応に追われ、愛を行動で表す理想と現実のギャップに私の魂は疲れ果てていました。
同時に「いつも足りない自分」というセルフイメージがありました。人生後半のありたい姿は、年齢にふさわしい安定感や力量と自信に満ちた姿。でもそうではない自分との間で苦しみました。
人生の締めくくりに入る時期にもかかわらず「まだこれから」と誰かに言われている気がして、青年であるかのように振る舞い、自らを奮い立たせていました。半面、成熟した私という存在を認めてもらいたい欲求と、受け入れられない不満に憤りを抱えていました。
聖書に、ぴったりの場面があります(ルカによる福音書15章11~32節)。兄と弟の二人兄弟がいました。弟は好き勝手に生き、落ちぶれ果てて父に赦しを乞います。ところが父はこの放蕩の弟息子を赦し、最上のもてなしで受け入れます。一方、いつも父に受け入れられたいと願い、努力を重ねる兄息子は怒り心頭です。自分は父親から受け入れられていない、その不満と憤りで家に入ろうともせず、外の暗闇で震えています。
しかし父は、怒りと憤りに満ちた兄息子を家の外まで迎えに行ってなだめます。父は深い愛の懐に兄息子も抱き抱えたに違いありません。父なる神の待つ家に入るには、最初から、なにがしかの者になることも、承認欲求も必要もなかったのです。
今、私は、一般的に言えば退職年齢に達しました。私の人生の旅を支える霊的友人から与えられた言葉は大切な贈りものです。
私(友人)の信じている神様は、あなた(筆者)が伝道者であっても、
なくても全く関係ない。どちらにしても変わらず愛してくださるお方です。
かつて、なりたい自分と承認欲求に苦しんだ私。でも今は、その自分を手放し、自分が受け入れられることよりも誰かを受け入れる者に、自分が何者か理解してもらえるよりも、誰かを理解する者に、そういう者でありたいと願っています。実は以前の願望は、自分の傷から目をそらし、自分を守るために覆う鎧であって、それは神様の前に全く必要ではなかったこと。今、鎧を脱いで父なる神の待つ家に向かって歩いていることを実感しています。
現在の任地で、皆さんのそれぞれの人生の季節と霊的な旅を共に歩むことを喜びとしている今、私は冬を迎えます。最後に分かち合いたいことは、私たちには帰るべき家――父なる神の待つ家がある、ということです。その確かな希望をお伝えさせていただきたいのです。
(救世軍士官〔伝道者〕)
救世軍(The Salvation Army)は1865年にイギリスで創設され、世界134か国で伝道・医療・福祉・教育・地域開発・災害被災者支援・人身取引被害者支援を行っている国際的なキリスト教会・国連NGOです。日本では明治28(1895)年から活動しています。
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