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ときのこえ
2022.06.01(水)

ときのこえ2022年5月号

自分自身を喜んで生きる

 朝澤まりこ


 最近よく、〝三十代が着るべき服〟〝四十代がすべきヘアスタイル〟〝春のメイクはコレ!〟〝おしゃれな暮らしはこうあるべきだ!〟というキャッチコピーを、SNSや雑誌の表紙で目にします。

 現在母親として子育てをしている私は、子育てや家事に関する記事、〝素敵なママでいるためにすべきこと〟の数々を目にすることが多いです。母親といえば、何かすばらしいことを成し遂げた女性を「〇〇の母」と言って称えたり、「母は強し」と言ったりもします。

 世の中では、今の自分に向けた理想の姿が、様々なところで、とても細かく提示されています。それを見て素敵だなと感じることもありますが、現実の姿とのギャップに疲れてしまうこともたくさんあります。私の実際の生活はそのようなキラキラしたものとは程遠いものです。

 私たちは、世の中の掲げる理想に到達することを目指すべきなのでしょうか。その理想に追いつくようにがんばるべきなのでしょうか。自分の足りなさや欠点は恥ずかしい部分で、隠さなければならないのでしょうか。そうではありません。

 聖書にはこのように書かれています。
 「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、 虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」
(コリントの信徒への手紙二 4章7~9節)

「土の器」とは私たち自身のことです。土なので、すでに欠けていたり、これから時間が経って欠ける部分もあるでしょう。土の器はそれだけでは、頼りない器です。

 しかしその中に「並外れて偉大な力」が注がれるとき、私たちは、苦しめられても、途方に暮れても、打倒されても、決して倒れることがないのです。

 その偉大な力とは、神様の力です。神様とは、この天地万物を創り、今も治めておられるお方であり、人となってこの世界に来てくださったイエス・キリストです。

 イエス・キリストはすべての人の救いのために十字架に架かり、苦しみ、死なれましたが、三日目に復活なさいました。この復活のイエス・キリストが私たちの中にいてくださるとき、私たちはすばらしい器になります。苦しみと死に打ち勝った神様の力が、私たちの欠けているところから輝くのです。欠けていれば欠けているほど、その光は大きく輝きます。

 私たちの足りなさや欠点は、経験や努力によって補うことができることもあるでしょう。時間が経てば、求めていた理想に近づくこともあるかもしれません。しかし、歳を重ねれば重ねるほど、自分の足りなさや欠点が、決して自分で補いきれるわけではない、ということにも気づかされます。

 私たちが目指すのは、世の中が提示している、細かく決められた理想ではありません。それに追いつくためにがんばる必要もありません。神様が一緒にいてくださるなら、神様の光が、私たち自身から溢れ出るからです。

 神様は、私たちの欠けを完全に補い、またそれ以上にすばらしいものとしてくださいます。この神様を心にお迎えするとき、私たちは自分自身を生きることができるのです。

 誰かが掲げた理想の姿ではなく、自分の求める理想の姿でもなく、自分自身を喜んで生きていきたいと思うのです。神様が私たちの中にいてくださるなら、そのようなすばらしい人生を歩むことができるのです。

(救世軍士官〔伝道者〕)

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