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冠野由紀子
先日、足が痛くて整骨院に行った時のことです。問診票に症状や痛くなった時の状況などを書いていくのですが、正確に思い出せないことも多く、普段は自分の体についてあまり意識していないものだなあ、と反省しました。そして、これは心についても同じなのではないかと、ふと思ったのです。忙しい日々の中で自分自身とじっくり向き合う時間がなくて自分のありようを正確につかめないまま、いつの間にか傷ついている―皆さんもそんなことはないでしょうか。
しばらくの間、治療に通うことになり、自身を振り返る時間をもつことができました。その中で思い至ったことが二つあります。一つは「つながる」ということについてです。意外なことに、足の痛みは足そのものではなく腰が原因だったのですが、体の各部分が確かにつながっていることを改めて感じさせられたのです。
聖書には次のようなイエス・キリストの言葉があります。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ。
ヨハネによる福音書15章5節
幹につながっていない枝は枯れて捨てられてしまいますが、しっかりした幹につながっていれば、枝が幹から遠く離れた所まで伸びていても十分に養われて豊かな実を結ぶことができます。イエス・キリストこそしっかりとしたぶどうの木であり、私たちを養ってくださるお方です。
そうして私たちが結ぶ実は次のようなものです。
霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。
ガラテヤの信徒への手紙 5章22、23節
最近、「つながる」ことを求めている人が多いように思います。通信手段の発達やSNSの普及で、多くの人とつながることが簡単にできるようになりました。しかし、「つながること」そのものよりも「何とつながっているか」が大切なのではないでしょうか。
もう一つは「支える」ということについてです。腰に力を入れて歩くと不思議と痛みが和らぐように感じたのですが、腰は身体を支える土台だからと聞いて合点がいきました。
わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、
倒れなかった。岩を土台としていたからである。
わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、
砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、
風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。
マタイによる福音書7章24~27節
これもキリストの言葉です。ここでは「何を土台とするか」が重要になっています。私たちは聖書を通して語られる言葉に従うことでしっかりと支えられ、揺らぐことなく人生の歩みを進めていけるのです。
さて、今、皆さんはどのように毎日の歩みを進めていらっしゃるでしょうか。 キリストとつながり、信仰を土台としてしっかりと支えられながら歩んでいかれますよう、心よりお祈り申し上げます。
(渋谷小隊〔教会〕所属)
救世軍(The Salvation Army)は1865年にイギリスで創設され、世界134か国で伝道・医療・福祉・教育・地域開発・災害被災者支援・人身取引被害者支援を行っている国際的なキリスト教会・国連NGOです。日本では明治28(1895)年から活動しています。
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