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田口哲也
秋の夜長、深夜のラジオ番組で、リスナーの投稿による「究極の選択」というコーナーが流行ったことがありました。言葉遊びのようでもあり、機知に富んだ内容もあり、印象深く思い出すことがあります。
Weblio辞書の日本語表現辞典によると、「究極の選択」とは、「どちらを選択しても重大な損失が生じるなどの理由で、容易には決められないが、いずれかを選ばなければならないこと、あるいはその選択問題を意味する語」とあります。
新約聖書の記事には、イエス・キリストが律法学者と対峙して「究極の選択」に迫られたことが記録されています。
さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、
ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。
彼らは来て、イエスに言った。『先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、
だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、
真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、
皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、
適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、
納めてはならないのでしょうか。』
マルコによる福音書12章13~14節
イエス・キリストは、この問いに対して、彼らの持っていたデナリオン銀貨を用いて、「これは、だれの肖像と銘か」と問い、逆に彼らに「究極の選択」を求めました。彼らは「皇帝のものです」と言い、イエスは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」とお答えになりました。
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」というイエスの回答は、皇帝か神かという二者択一ではなく、この世の律法や知恵を超えた神の知恵と真理を示し、イエスを試し陥れようとした人々の言葉の罠にかかることはありませんでした。
究極の選択、それがラジオ番組の言葉遊び程度ならよいのですが、私たちは人生の中で、イエス・キリストのように、試されるような「究極の選択」に迫られることもあることでしょう。
イエス・キリストが真の「究極の選択」に迫られたのは、ゲツセマネでの祈りの時でした。この時イエス・キリストは深い苦悩の中で、
父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。
ルカによる福音書22章42節
と祈られ、弟子の裏切りによる捕縛、そしてその先にある十字架の死に至るまで、一切の選択を神に委ねたのでした。
クリスチャンのアクセサリーに「WWJD?」と刻まれたものがあります。これは「What would Jesus do?」の頭文字をとったもので、「ジーザス(イエス・キリストのこと)なら何をするだろうか?」という意味です。これを見る者にイエス・キリストの行動を思い起こさせるものです。
私たちが究極の選択に迫られたとき、そのような時こそ聖書に立ち返り、 「WWJD? イエス・キリストならどうするか?」と問いかけたいと思います。そして、イエスのように、神が「万事を益となるようにして下さる」(ローマ人への手紙8章28節・口語訳)と信じて、神に委ねて歩みたいものです。
(救世軍士官〔伝道者〕)
救世軍(The Salvation Army)は1865年にイギリスで創設され、世界134か国で伝道・医療・福祉・教育・地域開発・災害被災者支援・人身取引被害者支援を行っている国際的なキリスト教会・国連NGOです。日本では明治28(1895)年から活動しています。
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