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ときのこえ
2020.10.05(月)

ときのこえ 2020年10月号

女性たちが泣く限り 石川 節子

「今日そうであるように、女性たちが泣く限り、私は戦う。今日そうであるように、幼い子どもたちが飢える限り、私は戦う。今日そうであるように、男たちが刑務所に出入りする限り、私は戦う。酔漢が残っている限り、街頭に哀れな失われた娘がいる限り、神の光を受けない一人の暗黒な魂でも残っている限り、私は戦う。私はまさに最期に至るまで戦う!」

これは、救世軍の創立者(初代救世軍大将)ウイリアム・ブースの言葉です。

ブースは、1865年に英国・東ロンドンの貧民街で、救世軍の基となる働きを始めました。やがて、救世軍という名のもとに活動が進む中、働きの精神を表す「3S(スリーエス)」―Soup(食事)、Soap(石鹸、衛生状態の改善の意)、Salvation(救い)という言葉が生まれました。

これは、聖書の言葉―福音(良い知らせ)―を届けるには、まず極限状態にある人々のニーズに応えて、その飢えを満たし、清潔で人間的な環境を提供する必要があることを意味します。人の尊厳が回復されてはじめて、人は、福音をその心に受け入れられるからです。

神は、人間をご自分にかたどって造られました。神にとって、一人ひとりが愛おしい存在であり、その命は、尊く、貴いものです。神は、すべての人が救われて、生きる喜びを味わい、幸せになることを望んでおられるのです。

産業革命後の社会的混乱期にあって、ブースは、妻カサリンと共に「3S(スリーエス)」の精神で活動を展開しました。それは、目の前の「一人」を救う、「戦い」でした。

ここで特記したいのは、女性に参政権がなく、公共の場において女性が発言することも認められていなかったその当時に、創立者夫妻が男女平等の実現に取り組んだことです。ブースはもとより、妻も、自分が受けた救いの喜びを人々に話さずにはいられず、街頭や会堂で演説しました。当時、それは稀有な姿でした。

聖書の初めには、神が、共に暮らすことを楽しむために男と女を創造されたことが記され、男女の基本的な平等性が示されています。神は、男女を尊厳と立場において同等に造られたのです。女を造られるとき、神はこう言われました。
「人が独りでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう。」(創世記2章18節 聖書協会共同訳)
「ふさわしい助け手」の原語の意味は「彼と向かい合う者としての助け手」です。ヘルパー・補助者ではなく、むしろ助け手がなければ欠けを生じるほどに、互いにとって必要不可欠な関係を意味します。神は、男アダムのために彼の最も必要な助け手・パートナーとして、もう一人の人―女を造られたのでした。男が女を支配することは、神が、人を創造されたときに求めておられた関係ではありません。

現代でも、女であるという理由だけで多くの差別が起こっています。現代の奴隷制度として、強制労働や性的搾取などがあり、女性が連れ去られ、騙され、虐待され、「人間」としてではなく、「道具」のような存在として扱われています。すべての人に教育を受ける権利が与えられているはずなのに、その権利を奪われている女の子がいます。世界では、子どもの五人に一人が児童婚(人身取引の一種)の被害に遭い、日本においても、人身取引の被害者が後を絶ちません。「JK(女子高校生)ビジネス」が、性的搾取を目的とした少女の人身取引を助長しています。その被害者の多くは、貧困状態にあった人、また、判断力のない状態におかれている人です。そういった被害者に「自己責任」と言えるでしょうか? また今、現代奴隷の犠牲者は、男女、子どもを合わせて、四千万人以上とも言われています。

これらのことは、神の創造の真理から、全くかけ離れているのです。神は、この状況を良しとされてはいないでしょう。

今も、多くの女性たちの嘆なげきが、うめきとしての祈りが、神に向けられています。救世軍は、今もこの不平等を是正させるべく「戦って」います。この世界が、男女の創造の真理に立ち帰ることができるように、と。

(救世軍士官〔伝道者〕)

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