お知らせ

NEWS
ときのこえ
2025.11.01(土)

ときのこえ2025年10月号

その違いが、愛を育てる
  ~受け入れることから始まる豊かな人生~

  山谷真


 私たちが暮らす世界は、多様な人々で満ちています。家族や友人、職場の同僚、地域の人々―誰一人として同じ人はいません。顔つきや声の調子、物事の考え方や感じ方、どれをとっても異なっています。

 こうした「違い」は、ときに戸惑いや摩擦を引き起こします。自分と価値観や行動の仕方が合わない人とは、距離をとりたくなります。しかし、もし違いを排除してしまえば、私たちの世界は平板なものになってしまうでしょう。私たちはここで疑問を抱きます。なぜ神様は、人間をこれほど多様な存在として造られたのでしょうか?

三位一体が示す愛のあり方

 聖書の世界観によれば、神様は、父と子と聖霊として互いに異なる存在でありながら、完全な一体性のうちにあります。これが三位一体の神です。三位一体とは、お互いの間の差異を否定せずに、そのまま抱きしめながら、自らを相手に与えようとする動きです。そして、このような三位一体に似せて人間は造られた、と聖書は言います

神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」
創世記1章26節

 神の愛においては、お互いの間の差異は、排除されるべき、あるいは、解消されるべき差異として現れるのではありません。むしろ、差異が愛の余白として機能しているのです。もし差異がなく、完全に同じであれば、愛は単なる自己愛に過ぎなくなってしまうでしょう。鏡に映っている自分を愛しているのと変わりがありません。しかし、お互いの間に差異があればこそ、真の関係性が生まれ、愛は力となるのです。

現実に生きる愛の実践

 とはいえ、このような愛を現実の人間関係で実践するのは容易ではありません。意見が対立したり、価値観がぶつかったりすると、私たちは相手を理解できずに困惑し、相手の欠点ばかりに目を向けてしまいます。しかし、神の愛に与るとは、自分とは差異がある相手を尊重することを、あえて選び続ける、ということです。

日々の十字架を背負う

 イエスは言われました。

日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
ルカによる福音書9章23節

 十字架は、単に苦しみの象徴ではありません。それは、相手を自分の思いどおりに変えようとする欲求を脇に置くために、自分の自己中心性を手放すという決断の印です。相手の存在そのものを受け入れ尊重する、その姿勢が、日々の十字架を背負う生き方なのです。

愛の無限の広がり

 私たち一人ひとりが、愛の広がりの担い手となることができます。愛は静かに人の心を変え、家庭を変え、社会を変えていきます。今日の自分の小さな忍耐と優しさが、明日の世界の未来を形づくることを、忘れてはいけません。その歩みは、やがて美しい結実となって現れるのです。お互いの間の差異を通して現される愛だけが、新しい世界を生み出すことができるのです。それは、私たち一人ひとりの決断にかかっています。

(救世軍士官〔伝道者〕

ときのこえ2025年10月1日号をダウンロード(PDF)

 
救世軍(The Salvation Army)は1865年にイギリスで創設され、世界134か国で伝道・医療・福祉・教育・地域開発・災害被災者支援・人身取引被害者支援を行っている国際的なキリスト教会・国連NGOです。日本では明治28(1895)年から活動しています。

あなたの支援で
救える人々がいます

あなたの小さな心遣いで貧困や病気に苦しんでいる人、教育を受けられない子どもたち、災害の被災者などを助けることができます。あなたの想いを彼らに届けることができます。ご支援という形で寄付に参加してみませんか。

寄付をしてみる