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イエス・キリストとは

 イエス・キリストとは、どのようなお方なのでしょうか
「イエス・キリスト」という呼び名はよく知られていますが、これは苗字と名前ではなく、「救い主であるイエス」という意味です。「キリスト」とは、「神から油を注がれ特別な役割をもつ救い主」という意味です。


イエスは神の独り子(神とまったく等しいお方)でありながら、人間の赤ちゃんとしてこの地上に来られました。今から約2000年前に、イスラエルという国のベツレヘムの地で、マリアとヨセフという若い夫婦のもとにお生まれになり、30歳のころから、神の御心を宣べ伝える働きを始めました。神の愛を宣べ伝え、数々の奇跡をおこない、病の人を癒し、友のない人の友となって歩まれました。


イエスがわたしたちと違うのは、罪を一つも犯さなかったことです。罪とは、法律に触れるような行為だけを指すのではなく、神を信じず、認めず、自分勝手に、的外れに生きることです。「キリスト」の呼び名が示す通り、イエスがこの地上に来られた目的は、すべての人を罪から救うためでした。イエスは、痛ましい刑罰である十字架にかかることによって、すべての人の罪を担い、身代わりとなって、血を流し死なれたのです。
しかし、驚くべきことに、それで終わりではありませんでした! イエスは十字架で死に、墓に葬られましたが、3日目に復活されたのです。復活したイエスは、多くの弟子たちの前に姿を現し、死に打ち勝ち復活したことを証明なさいました。そして復活から40日後に天に上げられたイエスは、今も生きて働いておられ、イエスの霊である聖霊が、信じる者たちと共にいてくださるのです。神はどこか遠く離れたところにおられる方ではなく、わたしたちと出会い、救ってくださり、人間の生活、経験に関わってくださいます。


イエスの十字架はキリスト教信仰の中心です。すべての人間は「神のかたち」に創造されましたが、人間は神の言葉に従わず、罪の誘惑に負け、その結果として神から分離した者になった、と聖書は教えます。人は罪のゆえに神から身を隠し、神の前から逃げようとするのです。
 しかし、罪の性質が入り込んだこの世界に、神は呼びかけ続けておられます。そしてイエスの十字架こそ、わたしたち人間が罪赦され、神のもとに帰り神の恵みの中に生きるための代価だったのです。聖書は、罪がもたらす悲しみと絶望を伝えるとともに、そこから人間を解放する神の恵み深さと、輝く希望を伝えています。
だれでも、自分の罪を悔い改め、神のもとに帰ろうという願いをもつ者に、イエスこそがその道となってくださいます。それはイスラエルの民に限らず、世界のすべての人に届けられている救いです。


「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネによる福音書3章16、17節)


父なる神、子なる神イエス、聖霊なる神は、一つであって、同時に三つである神です。別々に存在するものではありません。クリスチャンはただお一人の神を、父、子、聖霊として礼拝しています。