ときのこえ 2017年11月号

すべての人の救い 西村 保

ときのこえ2017年11月1日

救世軍が始まって、今年で152年、日本での働きが始まって122年を迎えています。救世軍は、古くから「救霊にあらざる社会事業なく、社会事業にあらざる救霊なし」と謳うたっているように、キリスト教伝道の働きと共に、社会福祉及び医療の働きを、鳥の両翼のように欠かせないものとして進めてきました。

今年はちょうど、日本における「救世軍医療事業及び社会福祉事業の理念」が明文化されて10年を迎えました。理念には、このように記されています。

「救世軍社会福祉事業及び医療事業は、キリスト教の精神と、救世軍の主義に従い、すべての人の全人的存在の価値を尊び、キリストが一人ひとりを愛されたことを模範とし、キリストに仕えるように個人個人に仕えることをその事業の基盤とする。」

明文化はされなくても、救世軍には、創業の時代から人々のニーズを追い求め、そこに応える具体的な実践がありました。たとえば、日本における救世軍の創業期の明治35(1902)年には、「救世軍愛隣隊」が編成されています。この働きを通して、救世軍は、病院や事業所に来る人のお世話をするだけでなく、各家庭を訪問し、どのようなニーズがあるかを調べ、それに応えていました。

理念の明文化は、さらに良い働きをするため、特にサービスの提供者が、自らの働きに対する理解を深めることができる助けとなりました。

この理念には「キリストが一人ひとりを愛されたことを模範とし」とあります。イエス・キリストは、どのように人を愛されたのでしょうか。聖書の中には、目の不自由なバルティマイとイエス様のことが書かれています(マルコによる福音書10章46〜52節)。

イエス様が、弟子たちとエリコという町を歩いていた時、バルティマイは道端で物乞いをしていました。彼は、イエス様が通られることを知り、叫んで、
「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」
と言いました。多くの人々が彼を叱りつけて黙らせようとしましたが、彼はますます、
「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」
と叫び続けたのでした。イエス様は立ち止まって、バルティマイを連れて来させ、こう尋たずねられました。
「何をしてほしいのか。」
バルティマイが、
「先生、目が見えるようになりたいのです」
と答えると、イエス様は、
「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」
と言われました。バルティマイは、この言葉を聞くと、すぐ目が見えるようになり、喜んでイエス様についていったのでした。

この出会いと会話から、三つのことに注目したいと思います。
①イエス・キリストは神様ですから、すべてのことを知っておられますが、あえて「何をしてほしいのか」と問われました。イエス様はこのようにして、人の思いに寄り添ってくださいます。
②イエス・キリストは、その思いに寄り添うだけでなく、その思いを実現されました。見えるようになったバルティマイにはどれほどの喜びがあったことでしょう。
③しかし、イエス・キリストは、そこにもとどまらず一番大切なこと、生きるために必要なことを彼に示されました。「あなたの信仰があなたを救った」と。バルティマイにとって見えることはとても重要であったことでしょう。しかし、人が生きていくために、もっと重要なこと、イエス様はその神髄に触れたのでした。真の神様を信じ、生きること、これに勝まさる喜びはない、ということです。
「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(テモテへの手紙一 2章4節)

全知全能の真の神様は、あなたも、イエス様の愛に触れて、信じ、救われることを望んでおられるのです。

(救世軍士官〔伝道者〕)

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