ときのこえ 2016年5月号

女傑の流した涙
     ―広岡浅子のその後

ときのこえ2016年5月1日

その後の浅子

 朝の連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデルとなった、広岡浅子の生き方は、多くの人の心を捕らえました。すべてに前向きに取り組んだ彼女の姿に心躍る思いをされた方も多いことでしょう。

 そんな彼女も、自分の人生を後ろ向きにじっと見つめる経験をしました。それは、浅子が、六十歳を過ぎた頃のことでした。

時代の精神

 広岡浅子は、一八四九年に京都の三井家に生まれ、十七歳で大阪の豪商・加島屋に嫁ぎました。江戸時代の旧家に生まれた女性には、今こん日にちの女性には想像もできない程の抑圧がありました。

 そんな時代を大きく揺り動かしたのが、一八五三年、黒船に乗って西欧から到来した、新しい時代の精神でした。異なる精神に衝撃を受けた幕末の志士たちは、古い時代の精神を打ち破る戦いを始め、明治維新が起きたのです。

 古い時代の精神が、新しい時代の精神とぶつかり合う転換期、浅子もまた生来の好奇心をもって「常識」を疑い、新しい女性の生き方を追求したのでした。そして、驚くべき行動力を発揮して、炭鉱、銀行、女子大学、社会活動へと手を広げていきました。

永遠普遍なもの

 物事をきちんと見極め、大局的な判断をしていくためには、時代の狭間で揺れ動く精神ではなく、永遠普遍なものが必要となります。

 六十歳になった頃、浅子は乳ガンを患い、死を覚悟します。しかし、麻酔で意識を失う間、浅子は、偉大な力を感じたのでした。そして、自分の命は、なんらかの使命のために天的なものに貸してもらっているものである、との実感の中で、「神」に憧れを抱くようになったのです。

天来の福音

 ちょうどその経験をした年の暮れ、浅子は、大阪知事宅で、成瀬仁蔵(日本女子大学創設者)、大阪基督教会(現日本基督教団・大阪教会)の牧師宮川経輝と同席します。その際、浅子と言い争いになった成瀬仁蔵は、宮川に浅子の教育を託したのでした。浅子も、ちょうど女性の教育のためには、外側の知識だけではなく、自ら修養することが大切だと感じていた時だったので、宮川に教えを乞うことにしました。

 宮川から学ぶうち、浅子は、自分の傲慢さを自覚しました。今までの生涯が恥ずかしくも、ばからしくも思え、悔い改めの思いに満たされたのでした。

 そして、傲慢さを打ち砕かれた浅子の心に、聖書の言葉の一つひとつが「天来の福音」として響きました。また、浅子のために骨折る、牧師宮川経輝の熱心な姿勢や真実な祈りの姿にも心打たれていきました。

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