ときのこえ 2016年4月号

古いものが終わって… 吉田 眞

ときのこえ2016年4月1日

 四月は、いろいろな新しいことが始まる季節です。木々は新しい芽を吹き、入学、就職と、たくさんの人が新しい出発をします。

 新しいことが始まる、ということは、古いものが終わる、ということです。新年に、私たちは「明けましておめでとう」と挨あいさつ拶をしますが、これは、古い年、前の年が無事に終わって、「おめでとう」という意味なのです。「梅雨が明ける、喪が明ける」というように、「明ける」 とは、「終わる」ことを意味します。

 私たちの生き方においても、これまでの生活を「終え」(忘れ)て、新しい出発をしたい、と思うことがあります。今、まさにそう感じておられる方があるかもしれません。人生のある時期、あの時に戻ってやり直せたらどんなにいいだろう、と思うこともあるでしょう。

 聖書は、もう一度戻って、やり直すことの可能性と必要性について語っています。

 聖書に、一人のユダヤ人が登場します。彼は、
「……あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです」
と語りかけます。イエス様はそれに、こう答えます。
「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」
と。ユダヤ人はさらに、
「年をとった者が……もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」
古いものが終わって…と問います。イエス様は、
「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である」と答えました。(以上ヨハネによる福音書3章より)
まるで禅問答のようです。イエス様の真意は、人は生まれたままの状態では、天国に行くことができないが、その心の状態が、終わった(明けた)時、新しい出発を
することができる、ということだったのです。「少しずつ」変わっていくのではなく、「完全に」入れ替わる必要性と可能性がある、と言っておられます。

 汚れた水をきれいにしたいと思う時、そこに、きれいな水を加えていけば、だんだん透明さが増すかもしれません。しかし、それでは、100%きれいになったとは言えないのです。汚い水を全部捨てて、きれいな水を入れなければなりません。人はどんなに「良いこと」をしても、きれいになることはできないのです。それまでの古い自分を全部捨てて、新しい出発をしなければならないのです。

 本当にそんなことができるでしょうか。

 聖書はこう宣言します。「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリントの信徒への手紙二5章17節)
聖書の別の翻訳(『リビングバイブル』)では、ここの部分を「だれでも、クリスチャンになると、内側が全く新しくされます。もはや今までと同じ人間ではありません。新しい人生が始まったのです」と、訳しています。

 つまり、古い生き方を終え(捨て)て、新しい人生を始めたいと望み、キリストを信じるならば、「今までとは同じ人間ではなく、新しい人生を始めることができる」との約束なのです。

 この新しいことが始まる季節、もし、古い自分と決別し、新しい自分に変えられたい、と願うなら、キリストの言葉、聖書に触れ、教会に足を運んでみてはいかがでしょうか。古いものに終わりを告げるために。

(救世軍士官〔伝道者〕)

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