ときのこえ 2015年10月号

失われた豊かな実を求めて 山谷 真

ときのこえ2015年10月1日

世界は変わった

世界は繁栄し、すべての人が豊かな実を享受できる。それが21世紀だとみんな思っていました。

しかし今、先進国で、朝ごはんを食べずに学校に来る子が増えています。貧しくて、食べる物がないと言う場合が少なくありません。貧乏なのは、働かないからだ、と言われてきました。実際には、働いても豊かになれない状況にあることが、経済学者の研究でわかっています。

たくさんお金がある人は、電子空間で毎秒数万回も金融取引を繰り返して、天文学的数字のお金を生み出します。一方、モノを作ったりサービスを提供したりする仕事は、お金をあまり生み出せなくなっています。外国から安いモノやサービスが入ってきて、対抗するには、こちらも安くするしかないからです。

外国から安いモノやサービスを提供する企業は、大きなお金を生み出していますが、海外の拠点から電子空間を通じて活動しているので、政府はそのお金に税金をかけることができません。子どもばかりか政府までも、豊かな実を享受できなくなっているのです。

すさんでいく心

働いても豊かになれないとわかれば、意欲は失われ、心はすさみ、それが広がると、社会は荒廃します。

しかし、人間には、環境的な前提に左右されない、心の中から静かに湧きあがってくる意志の力があることも事実です。自分の利益にならないとわかっていても、他者を顧みて献身的に行動する「愛」に、なぜかわたしたちは心を動かされます。

「愛」を体現する人物に出会う時、自分もそういう生き方ができたら、と魅了されます。今から二千年前イエス・キリストに出会った弟子たちは、そういう経験をしました。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15章13節)と言われたイエス・キリストは、弟子たちを友と呼ばれました。そして、弟子たちだけでなく、すべての人に救いを与え、彼らが永遠の命に生きることができるように、と十字架で命を捨ててくださったのです。

決断の時

世界は、多くの人が豊かな実を享受できない状態にあります。ここが考えどころです。思考停止して生き続けるのか。絶望して引きこもるのか。怒りに燃えて破壊的な生き方をするのか。

聖書は、第四の道を示しています。それは、「世界がどんなに絶望的な場所でも、イエス・キリストが示された『愛』によって生きていこう」と決断する道です。

イエス・キリストは、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マルコによる福音書8章34節)と招いておられます。

そういう人が、数は少なくても、励まし合い、一緒に生きていくなら、環境的な前提に左右されない愛と希望の存在する空間が生まれます。キリストはそれを「小さき群れ」と呼びました。やがてそれは、「教会」となり、わたしたちが永遠の命という豊かな実を享受できる場所とされたのです。

そして、もちろん、救世軍の小隊(教会にあたる)も、そういう場所です。

(救世軍士官〔伝道者〕)

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