オーストラリア・ヴィクトリア州の森林火災被災者支援 3

救世軍万国本営サイトの記事より

(救世軍万国本営発行 All the World 誌、 2009年4-6月号より)

Out of the fire 焼け落ちた救世軍困窮青年センターの残骸
焼け落ちた救世軍困窮青年センターの残骸

記事の紙面1

 2009年2月、オーストラリアのヴィクトリア州で発生した森林火災は200人の死者を出し、数千の人々から住居を奪った。結果、最近の同国における最悪の災害として認識されている。救世軍は素早く効果的な対応で、実際的な面と感情および精神面の支援を提供した。一般に対する寄付金の要請で 1,400万豪州ドルを越える金額が寄せられた。 約30,000の食事が緊急ワーカーによって提供され、経済的な困難に直面している被災者のために400万豪州ドルがこれまでに供給された。そしてさらに、後述するが、救世軍人や救世軍士官によるマン・ツー・マンの支援は、お金で買えるものに優る益を生み出している。

助けの手を貸す

 グレーミ・ハワードと彼の息子マシューがバララトを出発したのは、フイットルシー・イーグルスのフットボール・クラブにある厨房で手伝いをするためであった。そこは、緊急サービス要員と支援スタッフのための待機所になっていたのである。

 「今朝5時からここに来ています。」空腹を抱えた緊急ワーカーのためのトーストにバターを塗りながらグレーミは言った。「空港近くのモーテルで夜を過ごして、午前3時ごろに出発したんです。」

 彼が言うには、到着する前から見知らぬ人の親切によく出会っていたという。

ハワード父子とグレニー・フォード少佐、フイットルシーの厨房にて

 「ここに到着する前の晩のことですが、わたしたちはデ・カプリオというレストランに行ったのです。すると店の人がわたしたちの支払いをしてくれました - つまり、わたしたちがどこへ行くかを店員が知って、支配人の方が食事代は寄付するとおっしゃったのです。」

 マシューは言う「ここに来る前の2週間、わたしたちはバララトに近い火災現場に出ていました。」「わたしたちの奉仕に対して消防士の人たちはいつでもお礼を言ってくれました。消防士たちの助けになるなんて、まったく光栄なことです。」

 救世軍オーストラリア軍国の緊急サービス・コーディネーター、ウォーウィック・ウィルソンの言葉を借りれば、ハワード父子はどう見ても「のめり込んで、はまり込んで、人助けをしている」(be falling over themselves to get stuck in and help)という典型であろう。

 130人を越える救世軍人のボランティアが、国内いたるところからやって来て、ヴィクトリア州各地での務めに当たった。

 フイットルシー地域のための支援センターの中心にあって、ミン・アダムズ少佐は連続稼動状態であった。彼女は、他の非政府組織(NGO)から来ている人物に説明をしていたが、それは、子どもと10代の青少年の短期滞在施設について、その最善の運営体制についてであった。

 「ここにいる青少年は年長者がほとんどなので、彼らに自分の弟や妹の面倒も見てもらっていました - しかし今は、わたしたちは新しい段階に入っていまして、そうすることはさほど差し迫った必要でも具体的に困った問題でも無かったのですが、つまり一人ひとり直接世話をすることができるようになったということです。状況を把握して分析するということも、できるようになってきました。」

子どもと青少年向けの活動資源を提供するためにフイットルシーに来た、救世軍の小隊「メルボルン614」所属のバス、アクサ614号

子どもと青少年向けの活動資源を提供するためにフイットルシーに来た、救世軍の小隊「メルボルン614」所属のバス、アクサ614号(注)


 「いまは幼い子どもたちの世話がなされていますが、これについては彼らの状況について専門家による分析も取り入れています。それから、保健衛生の専門家も彼らを観察しています。フェイス・ペインティングとかピエロの芝居とかそういうものも行われています。」

 一方でミンは指摘した。10代の青少年たちは、今は目を向けるものが変わったことで、自分の弟や妹について責任があるということを顧みなくなっていると。

 ミンは言う「彼らは打ちのめされています‐『友達が死んだ』『同級生が行方不明だ』といった話で。」「ここにいる 10代の青少年たちは、この近郊にある4つか5つの違う町から来ていますが、みんな同じ高校(中学)に通っています。彼らは自分たちの教師や級友を失っています。今のところ友達を見ないとか、その消息を聞かないとかいうことであれば、それはもう二度と会えない人になっている、ということなのかもしれないのです。」

 「そういう点について、わたしたちはいま対処しようとしているところです。」ミンは続けた。「専門的なカウンセリングやケアも行われていますが、彼らの多くにとっていま必要なのはむしろ、iPodとかWiiとか楽器とか、そういう簡単なことでしょう…今いる友達と一緒に過ごす時を彼らは味わう必要があると思います。」

  • 訳注: 救世軍メルボルン614は、救世軍メルボルン小隊が、その多様な奉仕活動の発展により、2004年に事実上の改称をしたもの。「614」は旧約聖書のイザヤ書61章4節に由来。アクサ614号は保険会社の提供により青少年ホームレスのための給食などを行っている。
記事の紙面2

 ジェイソン・デイヴィス=キルディア大尉は、救世軍と他の諸機関との調整役としてその任務を完了しつつあるところであるが、立場上、様々な形でやって来る支援や、次々と行われる対応について知っている。

 初期の段階においてジェイソンは、関係機関全部が参加して、一日2回の打ち合わせをするということを始めた。「情報提供、どのような機関が加わっているかの確認、それぞれの役割について要点を得た説明をするといったことに役立てるため」だという。

 彼は言う「人々が笑えば、わたしたちも一緒に笑い、人々が泣けば、わたしたちも一緒に泣きます。救世軍の制服は、ここでは着ない方がいいでしょうし、人々と直接、親しく接することも控えておくべきでしょう。制服を着るのは『自分はここですよ、必要なら声をかけてください。』というような、大きく目に焼きつくような目印が欲しい時ですね。

 ジェイソンが言っているのは、田舎の人々の繋がりは強固であり、お互いにだれがだれであるか知っており、一人ひとりが地域の一部になっているということだが、その一方で彼はこうも認識している。「そんなわけで、隣人や愛する家族や友人を失ってしまったこの時が余計に辛いものになっています。死というものがこの土地では一人ひとり全員にとって大きな衝撃なのです。」

支援センターのジェニー・バーナード少佐 ボランティア・ワーカーと話すメイリ・ミッチェル大尉

 さほど遠くない場所にある地域のスポーツセンターでは、プレストン小隊の小隊士官ダリル・クロウデン少佐が、巨大な百貨店の仮店舗のような場所で支援物資支給の手配に当たっていた。

 着るもの、缶や袋入りの食べ物、靴、おもちゃ、お菓子など、何から何まで用意されており、そのホールは原型を完全に変えられていた。テーブルには寄付された品物が満載されており、床には箱やパレットが積まれており、ボランティアが衣服の束を運んだり、テーブルの上を片付けたり、食べ物の缶詰を作業台で仕分けしたりと忙しそうにしていた。

救世軍に寄贈された衣類や物品の一部

 「みんな本当に気前がいいですね。」ダリルは言う。人と話をする日が続いたために彼の声は枯れていた。

 ボランティアの人たちは森林火災の被災者に付き添って「買い物」のようなことを手伝うのであるが、しかしほとんどの場合、ダリルが言うには、品物を取っていくようにと励ますことになるという。「みんな、物を持っていくのを遠慮しがちですね。もっと気の毒な人がいるからというのです。」「小さな女の子が来て、ボランティアがゼリー菓子をいくつか差し出したのですが、彼女は一つだけしか取りませんでした。他の子たちも欲しいだろうからと、彼女は言ったそうです。」

 ダリルによれば、被災者のための激務は、これから報道メディアが去り、ボランティアたちが帰宅し、残された人々が「通常の」生活に戻ろうとし始めるその時に始まるのだという。

 救世軍は、その時が来ても被災者のために残ることになろう。

 「わたしたちは当地の人々ととても良い関係を築きました。地域再建にも一役買わせていただくことになるでしょう。物資の支給だけでなく、感情面精神面の再建においても。」

記事の誌面3

「カウンセリングは終わらない」

 緊急サービス・チャプレンのアーサー・フォード少佐は、2月7日の日曜日に火災がキングレイク近くを焼き払ってから数時間後には早くもフイットルシーの指令センターにいた。「手術および診療の場へ行くようにと、わたしは要請されました。ひどい火傷を負った人々と一緒にいてあげるためにということです。」

 その晩、彼は患者たちと一緒に過ごした‐そして翌日、彼は山に登り、そして降りた。- ひどい火傷を負った人と、その人を失った人々に対して彼が提供できた慰安はそれだけであった。

 「おぞましい光景もいくつかありました。忘れることは無いでしょう。身体から肉が剥がれて垂れ下がって、肉が焦げた臭いがして - 彼らはいつまでもわたしと一緒です。」アーサーはそう言った。

 しかしアーサーは、ひどい火傷を負ったある青年に、確かな励ましを与えることもできた。その青年は自分の妻が見当たらないと、半狂乱に陥っていた。 「彼は、自分の妻の携帯番号をわたしに教えました。彼が救急車に乗せられようとしている時、わたしはようやく彼の妻に電話がつながって、彼女は無事だと教えて、彼を安心させることができました。」 また、子どもや孫を失って自身も怪我をした女性や、心的外傷を負ってしまった緊急サービス要員に対しても彼は励ましを与えることができた。

 アーサーは語った。「日曜日の朝、消防士がわたしのところへやって来て、こう言いました。『お話ししなければならないと思いまして、今、5人の遺体を発見したんです。』消防士はがたがたと震えていました。」

 その消防士はそのような光景を何度も目の当たりにしたのだそうである。キングレイクでは、ある警察官がアーサーに頼んだことがあり、それは、彼の年若い後輩と少し一緒にいて欲しいということであった。

 「その若い警官は16人の遺体を発見したのです。」「彼自身にも幼い子どもがいるというのです。つまり彼が現場で子どもたちを発見したことで…彼の感情はかき乱されてしまったのです。この件は、彼は残りの人生に影響を与えるでしょう。わたしなどもそうであるように。」

報道記者の質問に答えるアーサー・フォード少佐

 アーサーが後から思い出したことは、その日が自分の65歳の誕生日であるということだった。

 「緊急要員と一緒に座ってコーヒーを飲んでいた時のことですが - 午前3時30分ごろでしたが - 彼らはハッピー・バースデーの歌を歌ってくれました。忘れられない誕生日になりました。」

 くたくたに疲れ果てたアーサーに、水曜日までに自宅に戻り休息するようにとの指示が出た。

 「しかしわたしは、起ったすべてのことをよく理解しようとしているうちに、感情がかなり高ぶった状態になっていました。シャワーを浴びたのですが、着替えを取り出している時に、何もかも失ってしまった何百もの人々を思い出して涙が止まらなくなりました。」

 「恐ろしい光景を目の当たりにしたこと、あのような人々と話したことから、わたしは混乱に陥っていました。わたしが帰宅する前に、友人の医者がわたしのために心理学者によるデブリーフィング(debriefing: 心的外傷に対する治療法の一つ)の機会を設けてくれまして、それは本当に助かりました。」

 彼が水曜日にフイットルシーに帰還して間もなく、緊急ワーカーの一人が突然彼を訪ねた。この人物は、近しい友人の遺体が山で見つかったと知らされた直後にやって来たのだ。

 「カウンセリングは続いています。終わることがありません。」とアーサーは言う。「わたしたちが何か助言をするというものではありません。聞く、聞く、ひたすら聞くのです。そして、手を差し伸べて、その人を抱擁して、その人の手を握って、あなたのことを心にかけていますと言うのです。そのような身体的接触はとても大切なことです。」

 「フイットルシーの山に登ると、人々はわたしたちのところに来て、泣き出します。わたしたちは両手で彼らの両脇を支えます。彼らは言います『サルヴォス(Salvos: オーストラリア救世軍の社会奉仕活動)のゆえに神よ感謝します、わたしたちを助けてくれる人たちすべてのゆえに感謝します』と。」

 以上はバリー・ギッティンズ(オーストラリア救世軍On Fire誌・編集者)とフェイ・マイケルソンによる記事より、写真はバリー・ギッティンズ、ベン・ノップおよびブルース・レッドマン。

ピーター・ウォーカー大佐補(中央)とブレンダン・ノットル少佐が被災地の男性の話を聞く
ピーター・ウォーカー大佐補(中央)とブレンダン・ノットル少佐が
被災地の男性の話を聞く

愛をもって対応する軍隊

 救世軍オーストラリア南部軍国の司令官、ジェイムズ・ナッグ中将はオーストラリア救世軍発行のOn Fire 誌に長文を寄せ、森林火災による大きな被害に思いを寄せ、また長期支援を約束した。以下の文章は彼の2つの論説から抜粋したものである。

 緊急ワーカー、警察、救命隊員、そして苦しみにある人々のために助けの手を差し伸べようとした幾千の人々、それらが結集した力の輪に救世軍は参加しました。

 わたしはこの目で見ました。火災が引き起こした人々の心の傷と、職務に当たる仲間たちによって表される神の恩寵を。

 自主的なボランティアたちのゆえに、わたしは神に感謝します。彼らは他者のために「自分自身を注ぎ出した(poured themselves out)」のです。食事を準備して供給し、被災者と向き合い、必要に応じて経済的な支援やカウンセリングを提供し、そういうことによって彼らは利己主義の逆を行って、自分自身を提供しました。

 表現し切れないほど多様なこの危機の各局面において、わたしたちは大変多くの人々に奉仕しており、また彼らと共に歩んでいます。生命の損失、また生活上の損害は信じ難いほどのものであり、その赤裸々な苦痛と悲憤をわたしたちも共に担うものです。わたしたちは被災者の心の中に落胆を、働き手の表情に恐怖を、確かに見ました。しかし一方で、サルヴォスの人々の精神と行動の中に、わたしたちは「希望が不死であること(outliving of hope)」を見ました。

 深刻な苦しみと喪失の悲しみ、それがどのようなものか判断し言い表すことは不可能であることをわたしたちは理解しています。愛する者を失った人々、と一様に言い表しても、その一人ひとりは同じではありません。

 同志である救世軍人たち、また救世軍の職員や協力者の方々、どうか、ヴィクトリア州の人々に対するわたしたちの誠意の深さをよく知っていただきたい。わたしたちは長期の取り組みとしてこの働きをしています。初期の緊急段階が終わったからといって、立ち去るとか場を放棄するとかいうことは、救世軍はしません。

 破壊され痛手を負った被災地の中で、わたしたちは癒しと希望の助け手であることができるよう努力します。

 被災地の生活とその活気を取り戻すための長期活動において、救世軍は、他のサービス提供機関、政府、産業界および協調して取り組みたいと望むすべての人々と連携を保ちます。

 これまで支援に尽力してくださった方々に感謝いたします。前進するにつれてさらに手を貸していただきたくなることもあろうかと思います。