家庭団コータリー 2012年8月号

8月教育プログラム

家族の時間 西村 和江

聖書箇所 コヘレトの言葉3章1−11節
救世軍歌集 309番 わが行くみちいついかに

家族の時間

 私は現在、ブース記念病院及び老人保健施設グレイスのチャプレンの働きをさせていただいています。家には二歳と五歳の男の子がいますが、普段は保育園に預けて、日中は忙しく走り回っています。
 チャプレンとして病院の中で大勢の患者さんやそのご家族と触れ合う機会がありますが、私が子育て中だという話をすると、多くの場合、「子どもさんを大切にしなさい。仕事なんかよりも、今しかできないことがたくさんあるのだから、いっぱい愛情を注いであげなさい」と励ましてくださいます。チャプレンとしてはにこやかに振舞っている私も、家庭では子どもたちを叱り飛ばしてしまうことが往々にしてあるので、心の中で反省しつつ教えられることが多々あります。
 こんなとき、児童精神科医の佐々木正美先生が『子どもへのまなざし』という書籍の中で次のように書いているのを思い出します。
 「いま、この瞬間を、幸せにしてあげよう、その積み重ねが、この子の幸せになるのだという育て方がいいのです。そして理屈ぬきで、育児を自然に楽しんでできれば、これはもう理想的なお母さんだと思いますね。」

 この時期だからこそ乗り切らなければならない育児の大変さと同時に、この時期にしか得られない喜びや恵みの数々を数えながら、自然に楽しんで家族の時を刻んでいきたいと願っています。
 このような日々の生活と、チャプレンの働きの中から感じている家族の時間というものについて、考えてみました。
 ブース記念病院のホスピス病棟には余命が僅かとなった患者さんが次々と入院されます。ある方は夫婦共に癌を患ってホスピス病棟で隣部屋という入院生活を過ごされました。時々病室を訪問していたご主人ですが、先立たれた奥様を看取った後、葬儀や納骨もすべて済ませ、「これで安心しました。子どもたちがしっかりと段取りしてくれたので、みんな任せてきました」と満足そうに話して、数日後に天に召されました。
 しかし中には、家族との関係が難しく、だれも面会に来られない、連絡もつけられない、最期はスタッフだけでお見送りさせていただく、という方もあります。
 ホスピスに入院されてから音信不通だった娘さんとの再会を果たし、短いながらも家族の時を刻まれた方もありました。
 年齢も性別もこれまでの人生も皆違いますが、だんだんと身体の自由が利かなくなり、痛みや息苦しさと闘わなければならなくなったとき、なんといっても頼りになるのは家族だと、感じずにはいられません。
 また、入院患者さんの家族背景を見ていますと、高齢化や核家族化、人間関係の希薄さといった時代背景をよくあらわしているように思えます。しかし、「世の中がどんなに変化しても、人生は家族で始まり、家族で終わることに変わりはない」という言葉を遺した方がいるように、家族に温かく見守られながらこの世の旅路を締めくくることができたらなんと幸いなことだろうかと思います。
 あるクリスチャンの方はご主人が救われることをずっと祈ってきました。ご夫妻には子どもさんがありませんでしたが、奥様の病気をきっかけにご主人は受洗に導かれました。一人遺されたご主人に新しい神の家族を与えられた主の不思議なみ業を覚えます。
 わたしたちの人生はいつ死を迎えるかわからないのが現実です。だからこそ、今与えられているこの時を大切に過ごしていただきたいと願うのです。

 病院でよく引用する聖書の言葉がコヘレトの言葉3章1~11節です。
 私たちには計り知ることのできない神様の時があることに心を向け、悲しみの中にも神様による魂の平和が与えられるようにと祈りをささげています。

「……
 生まれる時、死ぬ時
 植える時、植えたものを抜く時
 ……
 泣く時、笑う時
 嘆く時、踊る時
 ……
 愛する時、憎む時
 戦いの時、平和の時。」(抜粋)

 人生で刻まれる様々な時を、愛する家族と共に、神様の祝福のうちに過ごしたいと願いませんか。

(ブース記念病院・老健施設グレイスチャプレン・大尉)


8月奉仕プログラム

私たちの出来る事―小さなわざを
東日本大震災被災地支援 平本征子

聖書箇所 詩編37編3−6節
救世軍歌集 218番 主のいのちにむくゆる

 昨年の三月十一日、東日本を襲った未曾有の大地震は多くの人々の命を奪い、土地も建物も財産も、地震によって起きた大津波によって飲み込まれてしまいました。
 地震は東京までも影響を受けました。本営で仕事をしていた私も今まで経験したことのない大きな揺れにびっくり、机の下にもぐり、揺れの静まるのをじっと待っていました。都会の交通網はすぐに混乱を起こし、電車が止まり、大都会の人々の足を奪ってしまいました。
 本営では、道路に溢れてくる人たちのために大きなスクリーンにニュースを流しその時の状況を知らせ、夜には帰宅困難者のためにホールを開放し、夕食を接待し、携帯電話の充電器を用意し、歩いてでも自宅に帰りたいという人々に地図を提供し、助けの手を伸べたのです。
 道路事情もままならない中、現地に車を走らせ、救援の働きが進められている様子を見ながら、私の出来る事について深く考えさせられていました。
 現地に飛んで行きたい、とボランティアのメンバーに加えていただいたのに、前日から体調を崩して寝込む始末。それでも行くべきだという義務感に押しつぶされそうになりながら、辛い思いをしたものです。
 時が流れ、あの日から一年五カ月になります。救世軍の支援は日本中の援助者や海外からの多くの救世軍や他の支援団体からの多額の献金が届けられ、実際的支援が続けられています。
 このために、現地との密接な連絡を取り、最も必要な助けができるように震災支援事務局長が任命され、その働きが今日も進められています。
 昨年の十二月、百十一年の歴史のある麻布小隊に任命を受けて以来、私は、この震災支援のためにも「私たちの出来る事」を探していました。そこで二月、伝道事業部長を迎えての日曜日の午後、震災支援報告会を計画しました。五百枚のチラシを準備し、野戦で、また戦友みんなで地域に戸別配布をしました。
 私にとっては、この時が、地域を知る素晴らしい機会となったことは感謝でした。新しい方は導かれませんでしたが、戦友一同、映像を通して良い学びの時をもちました。
 本営からは、その後も支援ボランティア募集が届きますが、現地まで出かけていくことは困難でした。

奉仕

 そんな折、女川町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」オープンセレモニーがアメリカ総司令官、日本の司令官、そしてこのために多額の資金を提供されたトライデント・シーフード社の会長の出席で行われることになり、当日、本営社会福祉部が、そこで提供するお茶用の紙コップに、「希望」の花言葉のあるトルコ桔梗の種を入れた小袋を、きれいなリボンで結んで配布する計画をしていることが分かりました。早速、四月の家庭団例会を奉仕プログラムとして計画をたて、その準備作業の一部を手伝うことにしました。現地には行けないけれど、「私たちの出来る事―小さなわざを」を見つけ、奉仕できたことを心から喜び、感謝する時となりました。
 いつでもどんな時でも私たちの目と心をしっかり開き、神様から頂いている愛を届けるために実際的奉仕をしたいものです。

(麻布小隊付・(兼)軍国女性部書記補佐・(兼)軍国家庭団書記補佐・大佐補)