家庭団コータリー 2012年5月号

5月教育プログラム

〈霊的生活をリフレッシュ〉悲しみが実を結ぶ
-『リバイブ』より- ベス・トゥィビー

聖書箇所 ルツ記1章16-18節
救世軍歌集 181番 わがたましいはいける神の

悲しみが実を結ぶ

 ルツの話には、私をきつける何かがあります。それが、私の母の名前と同じだからなのか、ラブストーリーが含まれているからなのかはわかりません。確かなことは、ルツが逆境に打ち勝ち、神のが、ルツを通して子孫の繁栄を見たということをわからせてくれるからです

 どんなに時代が移り変わっても、ルツの物語は変わらず、ルツが未知の世界に足を踏み入れたという事実は変わりません。ルツは、エリメレクとナオミというイスラエルの一族に嫁いできたモアブの女性でした。この国際結婚は、モアブ人が代々イスラエルの敵であったにもかかわらずなされたことでした。その中で受けた圧力はどんなに大変だったでしょう。それに加えて、大きな悲しみがこの家族を襲いました。ナオミが夫を失い、ルツとオルパ(ルツの義姉)も、それぞれの夫(ナオミの息子たち)を突然失ってしまうのです。ナオミは、この悲しみを、生まれ故郷のベツレヘムに帰ることで乗り越えようとします。ナオミは、当然、嫁であるルツとオルパにも自分たちの故郷に帰ることを勧めますが、ルツは、ナオミに従って、全く未知の地について行くと決意します。ルツのナオミに対する献身的な思いが、次のように記されています。

 「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。わたしは、あなたの行かれる所に行き お泊まりになる所に泊まります。あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。」(ルツ1・16)

 ルツの人生と、子孫の上に、折々に神様の御手が置かれていたことがわかります。

 さて、過去一年の間に、私自身の家族の中に代々続く祝福を思い起こしていました。伯母のベティ(私の母ルツの姉)の葬儀に出席した時、別れの挨拶をしたいとこが、私たち家族の出来事について次のような話をしました。
 1880年初期、私たちのとその家族は、イギリス北部のダーハム郡スペニムアという村に住んでいました。曾祖父は炭鉱夫で、毎週の給料を酒代に使ってしまう大酒飲みで、家族は大きな悲しみの中にいた、と。

 私は救世軍士官として、救世軍のアルコール依存症者支援センターで、何年も働いていたので、それが、本人や、家族、友人たちの人生の上に大きな問題や悲しみを引き起こすことをよく知っています。依存症は、何年も続き、時には人に知られまいと秘密にしてしまいますが、処置をしなければ恐ろしい結果になるのです。

 いとこの別れの挨拶の話に戻りますが、この曾祖父の、いつものように飲み屋から千鳥足で帰ってきたある晩の出来事が話されているのを聞きながら、涙が止まらなくなりました。

 「おじいさんは、救世軍のホールから聞こえるバンドの音に引かれ、会館に入り、会衆の後ろで、ウイリアム・ブースの伝道隊の一員であるトーマス・サザーランドの説教を聞きました。その夜、聖霊は曾おじいさんの人生の中に介入し、彼ばかりでなく家族も永遠に変えられていく初めとなりました。」

 この神様の恵みの奇跡によって、福音に触れた家族が、キリストの救いを受け、信仰をもって歩む聖なる生活のバトンを次の世代へと手渡す者となりました。長い時の流れの中で、神様の導きにね、信頼した人々は、どんな深い悲しみや困難の中にあっても、神様の素晴らしいをたたえ、深い感謝との念を表す者と変えられるのです。

 ルツの話は、このような世代への祝福を描いています。話の最初では子どものいない一人のやもめが、結果的にはイスラエルの王ダビデの曾祖母になったのです。

 この聖書の話は、キリスト者の希望は、救いがその家に来るなら、ある世代に不幸があったとしても、後の世代に重要な実を結ぶことを表しています。それは、人々が何よりも神様の主導権に身を委ねるように、との教えです。

(オーストラリア東部軍国・少佐)


5月礼拝プログラム

信じて祈りましょう 吉田 恭子

聖書箇所 使徒言行録16章31節
救世軍歌集 286番 栄えの王にます主の

信じて祈りましょう

 木々や草花が命の息吹で溢れている六月となりました。「家族の年」を迎えて半年、「家族に福音を伝えたい」と祈っておられる方々を思いながら、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」の聖書の約束を信じて、祈り続けたことがその通りになった、私の証言をいたします。

 私の父は大酒呑みで、よく職場の人と喧嘩をしたり、酔った勢いで母を殴ったりしていました。ですから、子供心に家で宴会が始まるとこっそり隣の部屋から覗きながら、早く宴会が終わるように願っていたものです。そんな子供時代でしたが、お酒を飲まない時の父は大好きでした。優しく、料理も上手で、お正月の料理は父が腕を奮って作り、年越しそばは家族の楽しみでした。父のそば汁の味を、今は私が同じ味を引き継いでいます。

 十九歳の時、郷里の北海道網走郡美幌町から札幌の看護学校に入学してまもなく、札幌小隊に導かれました。そして、主イエスを救い主と信じたのです。すぐに、父に手紙を書きました。信仰に導かれた心の軌跡をすべて手紙に綴りました。その手紙を読んだ父は、私が看護学校を卒業するまでの期間、断酒し、家族の中に平和が訪れました。

 救世軍兵士となった私は、夏休みに郷里に帰った時、日曜日の礼拝を守るために兄弟団の美幌教会に出席しました。そして、教会の姉妹に「両親を訪問して欲しい」とお願いしました。なんとその姉妹は三十年間、我が家を訪問し、祈り続けてくださいました。もちろん、代々の遠軽小隊の小隊長も訪問してくださいました。本当に感謝です。父の義理の姉は、その教会に導かれクリスチャンとなりました。父もまた、召天する三日前に病床洗礼に与りました。毎月訪問してくださった姉妹が、伯母から父の危篤を聞き、ベッドの傍で父の名前を呼び、「久吾さん、イエス様を信じましょう。罪赦され、天国に行きましょう」と言うと、父はうなずいたそうです。早速、牧師先生を呼んで、姉と教会の姉妹の前で洗礼を受けたのです。父は天国に導かれたのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」の聖書の約束は確実です。父の救いを知り、私は主の御名を崇め、賛美に心踊りました。葬儀は主人の司少佐が救世軍式で行うことができました。小さな田舎の町の伝道集会となりました。

1、聖書の約束を信じることです
 聖書には、
 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(マタイ7・7)、
 「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」(マルコ11・24)と書かれています。「…そうすれば、…」と聖書中には何百もの約束があります。その約束を信じることが鍵です。

2、祈ることです
 毎日、家族の救いのために祈りましょう。夫婦で、家族で祈ることです。時間は短くても良いでしょう。心を合わせて祈る祈りが大切です。主イエスは必ず応えてくださいます。三十年かけた祈りにも応えていただけるのですから。祈った本人が天国に行っても、応えられることを信じましょう。
 「もし信じるなら、神の栄光が見られる」(ヨハネ11・40)とあります。祈りましょう。

3、小隊で祈っていただくことです
 小隊長に、戦友に、「家族のために祈ってください」とお願いし、お互いに祈り合うことです。自分の必要を声に出してお願いすることは、求めの切実さを表します。私が「両親を訪問してください」と教会の姉妹にお願いしたことを、主に忠実な姉妹は三十年間続けられ、父は救いに導かれました。なんとすばらしい主にある姉妹でしょう。

4、神を信じることです
 「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。」(ヘブライ人への手紙11・6)
 神を信じることが神に喜ばれる第一の条件です。主イエスへの信仰、真実な信頼がなければ何も生まれてこないのです。どうぞ、毎日、毎週、毎月、毎年と「神の家族」が増し加わることを祈り合いましょう。

提 案

  • 全国の小隊がそれぞれパートナー小隊となり、お互いに祈り合う計画を立ててはいかがでしょう。