家庭団コータリー 2016年11月-12月号

11月教育プログラム

合わせて、混ぜて、オーブンへ!

合わせて、混ぜて、オーブンへ!
キャロライン・チャン

聖書箇所 フィリピの信徒への手紙1章6節
救世軍歌集 347番 信じることは生きる喜び

 わたしは、月の初めが大好きです。なぜってお気に入りの料理雑誌の最新号が発売されるからです。必ず食事に役立つ良いアイデアを見つけます。主人も新しい料理を楽しみにしているようです。もちろん雑誌にあるレシピを全部作るわけではありません。手がかかりそうで難しそうな料理は作りません。でも、本当に美味しそうなきれいな写真を見ていると、とても楽しくなります。

 ずいぶん前に、料理を習いたての頃、すべての材料を測るように言われました。レシピにない材料を入れるとたいてい、大失敗をしてしまいました。

 レシピ通りに作らなかったことで、わたしの料理人生で最高の教訓となったことがあります。十三歳の時、ガールスカウトで料理のバッジをもらうために挑戦していた時でした。スーパーでケーキミックスを買えば簡単なのに、ゼロから作らなければなりません。そこで私は、父の大好物のメープルクルミケーキを作ることにしました。

 材料はすべてきちんと測って、レシピ通りに材料をボールに入れて、よくかき混ぜました。オーブンもちゃんと余熱をかけて、クルミを刻んで、型を並べバターを塗り、材料を流し込み、さあオーブンに入れて、ホッと一息。あとは、タイマーが教えてくれるまで気長に待つだけでした。

 ところがオーブンからケーキを取り出してびっくり! ふわふわしっとりのケーキではなく、そこにあったのは、ビスケットみたいに薄っぺらなケーキでした。膨らんでいなかったのです! たぶん、見た目より味は良かったと思うのですが。(そう思いたかったのです。)

 ケーキ作りの上手なみなさんは、何が起きていたか、もうお分かりでしょう。薄っぺらなケーキを食べて、少し苦かったので何が起きたか分かりました。ベーキングパウダーではなく、間違って重曹を入れてしまっていたのです! ケーキが膨らまないわけですね。ベーキングパウダーこそ、ケーキを膨らませるもとなのですから。

 その重曹事件は、何十年も昔に起きたことですが、未だに、ケーキを作る時は何度も材料を確認するようにしています。いつもあの薄っぺらで固いケーキのことを思い出してしまうのです。

 雑誌に載っている綺麗な写真のように、わたしたちの人生を素晴らしいものにしたいと計画を立てたり、アイデアをもらったりします。でも、人生は思い通りにいかない事があります。人生の道のりを間違うこともあります。神さまの計画に委ねるより、自分の計画に沿うようにがんばってしまう事もあります。人生を歩んでいく中に、病気、人間関係、家庭問題、仕事、財政問題など好ましく思えない材料が入ってくる時もあります。

 何千年も昔、旧約聖書の預言者エレミヤは、神さまは人生のレシピをお持ちである、と書いています。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ二九・一一)
これは、わたしたちの人生の計画は、神さまがお持ちのレシピであって、わたしたちの考えではないという事を心に留めることが大切である、と教えています。神さまはわたしたちが人生を歩むのに必要な材料を与えてくださり、自分たちの人生の歩みのために神さまのご計画を信頼し、頼るようにと教えています。
「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(箴言三・五―六)

 イエスさまの救いをいただき、神様の助けの中に歩む一人ひとりは、神さまの与えてくださる人生のレシピを受け取り、信じて、与えられた材料で生きていくのです。

 時には、神さまは沈黙しておられるように思うことがあるでしょう―祈ること、瞑想の時が必要なのです。また、子どもたちの問題―いじめや自暴自棄で荒れる子どもたちにぶつかり、どうしてよいかわからなくなる時もあるでしょう。

 多くの困難と思われる状況の中にも素敵なものを作り出す時を見つけることが大切です。ビーズを使ってきれいなネックレスやブレスレットを作る手芸を楽しんだり、読書クラブで交流の時をもちリフレッシュすることはとても良い助けになるでしょう。

 使徒パウロは、神さまに信頼し、わたしたちの人生を美しいものに変えてもらいなさい、と言っています。
 「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」(フィリピ一・六)

 わたしたちに与えられた人生の材料を用いて、神様のために美しいものをつくり上げ、さらに主を信頼して歩んでいくことができますように祈ります。

(『リバイブ』編集長・大佐補)

12月礼拝プログラム

神の愛が注がれている

神の愛が注がれている
太田 廣美

聖書箇所 ローマの信徒への手紙5章1-8節
救世軍歌集 45 番 きよしこのよる

 私共の長男夫婦のところに女の子が誕生した。東日本大震災の日、東京近郊では交通網がストップし、帰宅困難者の多くが近くの体育館や学校で一夜を明かす中、長男は産気づいた嫁のために徒歩で五時間以上かかり夜半に帰宅したそうだ。すぐ病院に向かい、三月十二日の朝早く、初孫が誕生した。一時停電になり電話もケータイも不通で心配したが、無事に産まれた連絡を受けて、神様のお守りを感謝した。
 
 人口調査のため、ナザレからヨセフのふるさとベツレヘムへの旅は、身重のマリヤにとってどんなに大変なことだったか想像がつく。ケータイも自動車もバスも電車もスーパーもコンビニも病院もない。やっとの思いでベツレヘムに着いたのに、宿屋はどこもいっぱいで休む所がない。なんとか馬小屋に休ませてもらうことができたが、そこは動物のにおいがする不衛生で助産師も新生児室もない所であった。しかしその夜、無事にイエス・キリストは誕生したのである。クリスマスページェントでは幻想的に演じられるが、現実はどんなに過酷であったかを思わされる。孫が産まれるまでの数々の出来事を通して、マリアとヨセフの若い夫婦がこの難局をよく乗り切ったものだと思わされた。それは……

神様の愛を知り、すべてを委ねていたからである。
 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。……力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」(ルカ一・四七―四九)
とマリアは証ししている。マリアは受胎告知を受け入れ、聖霊によって身重になった時から、ヨセフは夢で心配しないでマリアを妻に迎えるよう示された時から、神様の愛と偉大な力とを信じていた。そして彼らは神様にすべてを委ねていたから、様々な困難があったけれども、馬小屋でイエス様を産むことができたのではないだろうか。

救い主の誕生は、神様の愛のご計画の中でなされたことを信じていた。
 「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ七・一四)
 「エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る。」(ミカ五・一)

 救い主の誕生は預言されており、二人は神様によってそれが実現されたことを信じた。だから天使が命じたとおりに、その子をイエスと名付けることができた。その後もヘロデに幼子の命を狙われ苦難は続くが、天使の知らせによってエジプトに逃れられ、博士たちのささげものによってエジプトでの生活が守られるなど、すべては神様のご計画の中でなされていることを畏れながら、信じてイエス様を育てていったのではないだろうか。

私たちの人生も神様の愛の(救いの)ご計画の中にあることを信じたい。
 罪を赦すため十字架で独り子を死なせるほどに私たちを愛してくださる神様がおられる。ときに苦難が重なったとしても神様の愛は薄まらない。御手によって導いてくださることを信じたい。「あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもってわたしを囲んでくださる方」(詩編三二・七)と詩編の作者も証ししている。

 長男夫婦がケータイに孫を写メールしてくれる。泣いた、笑った、寝返りした、と。何度見ても可愛くて飽きない。この子のためならどんなことでもしてあげたいと思う。イエス・キリストもどんなに可愛かったことか。その独り子を十字架にかからせるとは、神様の人間に対する大きな愛を知らされる。

 「正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ五・七、八)

この神様の愛が私たちの心にいつも注がれている。
 救い主としてイエス様を誕生させてくださった神様の愛に感謝し、喜び、お祝いするクリスマスでありますように、お祈りいたします。

(関東東北連隊女性部書記・少佐)