家庭団コータリー

家庭団コータリー
救世軍女性部編集 家庭団コータリー
季刊・年4回発行 A5判24頁 300円(税込)


家庭団コータリー 2019年4月号

4月礼拝プログラム

子どものように主と交わる
鈴木 眞理子

聖書箇所 コリントの信徒への手紙一 6章19-20節
     マルコによる福音書10章13-16節
救世軍歌集 244番 われは神の宮

子どものように主と交わる

四月は新しい出会いの季節です。昨年の四月、私は北海道に転任し、連隊・小隊・保育園チャプレンとしての働きの中で多くの方と出会いました。保育園での子どもたちとの関わりの中で、印象に残る出来事がいくつかありました。

毎週月曜日の朝、救世軍桑園保育所で四歳児・五歳児の子どもたちと礼拝をしています。

ある日の礼拝の後、子どもたちとしばらく一緒に過ごしていました。すると一人の子どもが近づいてきて、「ねえ、眞理子さんって神様とほかに誰と一緒に住んでるの?」と尋ねてきました。私が主人の名前を言って説明すると「そうなんだぁ」と言ってそばを離れていきました。

私は子どもが神様を身近に感じていることを嬉しく思うと同時に、大人より子どもの方が、はるかにイエス様を近くに感じているのではないかと思わされました。そして私は教会という神の宮に住まわせてもらっているだけでなく、神様は「イエス・キリストは救い主であると信じる」者の内に住んでくださるお方であるということを、改めて思い巡らせました。

家庭団コータリー 2019年3月号

2月教育プログラム

山室軍平著『私の青年時代』を読む
平本 祐子

聖書箇所 マタイによる福音書22章34-40節
救世軍歌集 337番 われにしたがえ

私の青年時代

 去る二〇一八年十月に神田小隊は開戦百二十周年記念集会をおこない、同志社大学社会学部教授の木原活信先生から『山室軍平が今日に問いかけるもの』と題して講演をいただきました。講演の中で木原先生は、山室軍平の著作の中で『私の青年時代』がとても好きだと紹介されました。また、同志社在学中の山室は、泣き虫の変わり者と見られていた記録が多くあるそうです。山室軍平といえば、日本人初の救世軍士官、神田小隊にとっては初代小隊長ということで、あまりに大きな存在と感じがちですが、この機会に、『私の青年時代』を読み返してみました。いろいろなエピソードが記され、人間味あふれる山室青年の姿が浮かびあがってくる本です。

 山室軍平は明治五年、岡山県の山間部にある本郷村に生まれました。九歳で少し離れた足守町に住む叔父の家に養子となり、質屋を営んでいた養家の手伝いをしながら学問に励みました。高等小学校を卒業した軍平は、東京か岡山に出て更に勉強したいとの願いがありましたが許されないとわかると、十五歳で無断で家を飛び出し、なんと、二度、家出しようとして失敗し、三度目には岡山のある旅館に一週間ほど隠れて追手をまいた(!)後に、小さい蒸気船に乗って神戸に出、神戸から汽船に乗って横浜へ着き、初めて汽車に乗って横浜から東京に入った、というのです。勉強をしたい、の一念で家出を決行した、無鉄砲とも思える十五歳の山室青年です。上京した軍平は、同郷の名士の計らいで、築地活版製造所の職工として働き始めました。この頃、ある夜、銭湯に行き、東京の大きな風呂が珍しくて、おもしろ半分、走りながら入って行ったら、たちまち板の間ですべって転んでしまった。その拍子に一本しかない手ぬぐいをなくしてしまい、しばらく難儀をした、と記されています。大きい風呂を見てわくわくしている、まだ少年の面影を感じさせる光景ではないでしょうか。

 勉強がしたくて上京した彼は、仕事の合間を利用してはよく読書をし、英語の夜学会に通学し、いろいろな専門学校の講義録をとって政治、法律、経済などの勉強を始めました。しかし、アメリカ独立戦争で、さる勇将が負傷しながらも動ぜず、たばこをふかしながら戦いの指揮を続けた、という文章を読めば、「実に偉い、このような豪胆な人物になりたい」と思い、「わたくしもひとつ太いパイプを買ってきて、たばこをけいこしなければ」と試してみたところ、頭痛がひどかったが「これをしんぼうせねば、偉い人物になれないのであろうと、無理にがまんして」けいこを続けたとか、職工仲間との付き合いで「酒が飲めなくては一人前の男子になれない」と聞いては、「忙しいことではあるが、その方も修業したがよいのであろう」と、酒を飲んでみたけれど「胸の悪いことおびただしいのに驚いた」とか、様々な誘惑の中におかれていたことが記されています。今も昔も変わらない、青年の出会う体験ではないでしょうか。

 そのようなタイミングで、彼はキリストの教えに出会ったのです。明治二十年、十五歳の秋、仕事の昼休みの短い時間に外に出ると、祝橋のたもとで数人の青年がキリスト教の路傍伝道をしていました。それを聞いてキリスト教に興味をもち、新約聖書を読むようになり、「目に見える世界、この世につく生活以外に、精神上の世界があるのだ、ということに心づいた。」そして一、二ヵ月、集会に出席し聖書を読むうちに、天の父がおられること、自分の罪のこと、またキリストの執り成しのことなどについて理解が深まり、「そこでわたくしは正直に自分の気のついたかぎりの罪を悔い改め、キリストとその十字架とを信じて罪のゆるしを求め、その救いを受けて、ともかくも及ぶかぎりまじめに、信仰の道を歩むこととなったのである」と、回心の様子が記されています。

 「キリストの愛はわたくしを感激させた」と山室は書いています。仕事の同僚にもキリスト教の集会に出席するよう勧めますが、皆はそれにうんと言いません。「『終日はげしい労働をした上に、だれがわざわざあんな肩のこるような話など、聞きに出かける物好きがあるか』と、彼らは抗弁するのであった。そんなにキリスト教の話は肩がこるかしらんと、今一度出直して聞いてみると、あながち肩がこらないこともない。講壇のことばも、話も、また一切の態度も、大分一般民衆とかけ離れたところがあるように思われた。…」

家庭団コータリー 2017年2月号

2月教育プログラム

どう生きますか 逝きますか
西村 和江

どう生きますか 逝きますか

聖書箇所 詩編23編
救世軍歌集 306番 わがえらびしみちにあらで

「どう生きますか 逝(い)きますか」これは昨年八月に発行された『週刊ダイヤモンド』の特集記事タイトルです。「死生学のススメ」という副題で、日本人一万人のアンケート結果と共に、墓・葬式の問題、介護や終末期医療、死と生の科学まで、現代日本の抱える様々な課題を取り上げています。これによりますと、「自分の死について考えたことがあるか」という問いに「ある」と答えたのは64.9%で、身近な人との死別や加齢、病気などをきっかけとして多くの人が死について深く考えている一方、「死生観があるか」の質問に「ある」と答えたのはわずか9.5%にとどまっています。

 団塊(だんかい)世代が高齢になり、世間では「終活」ブームが到来。私たちは「どう生きるか、どう死ぬか」という課題に、どのように向き合えばよいのでしょうか。

 数年前に天に召されたAさんは百歳を超えた熱心なクリスチャンで、礼拝に参加することを一番の喜びとしていました。それでもだんだんと体の自由が利(き)かなくなり、時には「もう十分に生きたから早く天国に行きたい」と話しておられました。Aさんが食事を摂(と)ることが難(むずか)しくなった時、医師は家族にこのまま何もしないか、中心静脈栄養(太い血管からの高カロリー輸液)を行うか、経管栄養(鼻や胃に通したチューブから栄養を入れる)にするか選択を迫りました。

 自分で食べることができなくなったらもう寿命なのだから、無理やり栄養を注入するのは延命処置なのではないか…。しかし、現代医療は様々な方法で命を長らえさせることができるのに、それをしないということは勇気のいる決断です。あの時こうしていれば良かったと後悔したくない、でもこれで本当に生きていると言えるのだろうか。こうまでして生かしておくことは自分のエゴでしかないのではないか。家族の葛藤(かっとう)は尽きません。

 クリスチャンである私たちは永遠の命の約束と希望を持っていますから、死は終わりではなく、新しい旅立ちと考えることができます。生も死も神の支配のうちにあるというのがキリスト教の死生観です。家族に迷惑をかけないようにといろいろな準備をしていても、思いがけない病気ですべてを頼らざるを得ない状況に置かれることがあります。延命をしないでほしいと願っていても、やむを得ない決断がなされる時もあります。けれどもすべてを支配なさっている神様のお許しがなければ、どんな決定もなされないのですから、医師の治療方針も、家族が悩んで決めた結論も、すべては神様のご計画のうちにあるのです。本人に意識がない状態で過ごす数日間に、家族の心に変化が与えられ、自分たちにとって必要な時間だったと受け止めることができる場合も多くあります。けれどもその時はどうしても迷いと葛藤に襲われますから、神様のご計画に従って「ゆだねる」ことの難しさを日々実感することでしょう。私たちがまず神様との関係にしっかりとより頼み、御心(みこころ)を祈り求めていきたいものです。

家庭団コータリー 2016年11月-12月号

11月教育プログラム

合わせて、混ぜて、オーブンへ!

合わせて、混ぜて、オーブンへ!
キャロライン・チャン

聖書箇所 フィリピの信徒への手紙1章6節
救世軍歌集 347番 信じることは生きる喜び

 わたしは、月の初めが大好きです。なぜってお気に入りの料理雑誌の最新号が発売されるからです。必ず食事に役立つ良いアイデアを見つけます。主人も新しい料理を楽しみにしているようです。もちろん雑誌にあるレシピを全部作るわけではありません。手がかかりそうで難しそうな料理は作りません。でも、本当に美味しそうなきれいな写真を見ていると、とても楽しくなります。

 ずいぶん前に、料理を習いたての頃、すべての材料を測るように言われました。レシピにない材料を入れるとたいてい、大失敗をしてしまいました。

 レシピ通りに作らなかったことで、わたしの料理人生で最高の教訓となったことがあります。十三歳の時、ガールスカウトで料理のバッジをもらうために挑戦していた時でした。スーパーでケーキミックスを買えば簡単なのに、ゼロから作らなければなりません。そこで私は、父の大好物のメープルクルミケーキを作ることにしました。

 材料はすべてきちんと測って、レシピ通りに材料をボールに入れて、よくかき混ぜました。オーブンもちゃんと余熱をかけて、クルミを刻んで、型を並べバターを塗り、材料を流し込み、さあオーブンに入れて、ホッと一息。あとは、タイマーが教えてくれるまで気長に待つだけでした。

 ところがオーブンからケーキを取り出してびっくり! ふわふわしっとりのケーキではなく、そこにあったのは、ビスケットみたいに薄っぺらなケーキでした。膨らんでいなかったのです! たぶん、見た目より味は良かったと思うのですが。(そう思いたかったのです。)

家庭団コータリー 2015年10月号

10月奉仕プログラム

出版供給部にぜひ一度 お出掛けください
(供給部がリニューアルされました)
荒井 ちゑみ

出版供給部にぜひ一度お出掛けください

聖書箇所 ヨハネによる福音書2章13-17節
救世軍歌集 345番 神の武具をとりてたち

救世軍本営の2階に「救世軍出版供給部」という部門があるのをご存知でしょうか?

「出版?…… 供給?……」
「書籍を販売しているところ?」

はい、現在も救世軍の書籍を出版して販売しております。
さらに、供給部でしか販売されていないものがあります。
救世軍兵士と士官のための制服、制帽、ハット、ブラウス、シャツ、その他、救世軍グッズ類。